稲盛塾長講話より
次は「フェアプレイ精神を貫く」です。これは皆さんも、何でもない普通一般に言われていることだとお考えかもしれませんが、私は京セラフィロソフィのなかで「フェアプレイ精神を貫く」という項目のなかで次のように書いております。
京 セラは「フェアプレイ精神」に則って、正々堂々とビジネスを行なっています。したがって儲けるためには何をしてもよいとか、少しくらいのルール違反や、数 字のごまかしは許されるという考え方を最も嫌います。スポーツの世界でも反則やルール違反のないゲームから、爽やかな感動を受けるのは、フェアプレイ精神 に基づいているからです。誰であっても、矛盾や不正に気付いたら、正々堂々と指摘すべきです。私達の職場が常にさわやかで、活気あふれたものであるために は、一人一人がフェアなプレイヤーであるとともに、厳しい審判の目を持つことが必要です。
この「フェアプレイ精神」というのは、これはも う当たり前のことのように、皆さんお考えだと思います。フェアプレイと今、ここで私が言っていますのは、公正ということです。つまり、公正さを尊ぶ精神、 これは公正な、フェアな、正しいことを正しく貫くということを、企業の規律の中心に置くべきだとずうっと思ってきました。つまり、不正なことは一切しては ならない。これは上から下までしてはいけないということ。それを会社を律する会社の規則、規律、そういうものの中心に置くべきだと思っておりました。
こ のフェアプレイ精神を社内に深く定着させるということが必要なわけです。不正なことをしてはいけませんよ、トップの社長から下の人まで、非常にきれいな生 き方をしなきゃいけませんよ、ということを、社内で説いてまいりましたけれども、フェアプレイ精神を貫くといって、今読みましたような言葉を掲げて社員に 説いて見せて、ウチの会社はそれで行きますよ、と言ったって、そのときは「そうやな」とみんな思うのですが、そういつまでも全部覚えているわけじゃありま せん。実際の職場で働いている人になりますと、それがいつの間にか、それぞれの人が、それぞれの判断をし、踏み外してしまうということが起こるわけです。
そ こで、このフェアプレイ精神を貫くということは、公正さを尊ぶ精神を、企業のなかの規律の中心に置いて、ウチの会社はこういう生き方で行きますよ、という ことをハッキリさせなければならないと同時にこういうことはしてはいけませんという具体的なことを全部挙げて、規律のなかに付け加えておかなければなりま せん。そして大事なことは会社のなかで、誰であっても。「誰であっても」というのは、どんな下っ端であっても、会社のなかの矛盾や不正に気付いたら正々堂 々と指摘すべきですということです。つまり、会社のなかに、役職が上にある、下にあるということに限らず、誰であっても厳しい審判の目を持って、会社のな かを見る人が要るわけです。全社員が厳しい審判の目で、みんなが見ているという、そういう雰囲気を作らなければいけません。
とかく会社というのは 組織がございますから、この組織のなかで下克上、つまり下の人間が、上の人の揚げ足をとって、上の人を陥れようとするような傾向があって、下克上は下から そういうことを言うということ。人の悪口を言うのはあまりいいことじゃないと思いますが、そういう雰囲気があります。どうしても下の人間が、上の人の足を 引張って、自分の正当性を。つまり自分がええ格好をせんがために、あえて上司の悪口を言って、そして足を引張ろうとするような人も、なかにはおるわけで す。
そういう人もおりますだけに、どうしても人の悪口を言う、人の足を引張るようなことを言うということは、その人の人格に関わるような気がす る。そういう人の悪口を言うということは、どうもアイツはワルや、と。悪口を言う奴が悪いというふうな、そういう雰囲気が我々の社会には全部あるわけで す。ありますから、どうしても不正に気が付いてもよう言わんといいますか。
言わないもんだから、それがなかにずうっと渦巻いていく。そうするとひとつ不正が許されると、それをはたから見ていて、あ、あれでいいんやな、ということになり、それをまた真似をする人が出てくる。そういうことで、会社のモラルは急激に悪くなっていきます。
つ まり、下克上。下の人が上の人のことを、会社のなかの批判をするということを封じ込めるということがないように、そういうことを言える雰囲気といいます か。その場合も単なる非難中傷、会社の悪口を言い、上司の悪口を言う、ただ非難中傷するというようなことは、これはピシッと文句を言わなければなりませ ん。それがどんどん起こっていったのでは収拾がつかなくなりますから。本当に不正があったとき、本当に矛盾があったとき、その矛盾を指摘し、「社長、こう いうことがウチの会社で行なわれていますが、これはいいんでしょうか。これは私は問題だと思いますが」と。そういう意味の建設的な意見というのは、いく ら、どんな下っ端が言ってもよろしい。それは上司は聞く耳があります、という、そういう雰囲気をぜひ、会社のなかには作っていただきたい。このように思っ ています。
次は「フェアプレイ精神を貫く」です。これは皆さんも、何でもない普通一般に言われていることだとお考えかもしれませんが、私は京セラフィロソフィのなかで「フェアプレイ精神を貫く」という項目のなかで次のように書いております。
京 セラは「フェアプレイ精神」に則って、正々堂々とビジネスを行なっています。したがって儲けるためには何をしてもよいとか、少しくらいのルール違反や、数 字のごまかしは許されるという考え方を最も嫌います。スポーツの世界でも反則やルール違反のないゲームから、爽やかな感動を受けるのは、フェアプレイ精神 に基づいているからです。誰であっても、矛盾や不正に気付いたら、正々堂々と指摘すべきです。私達の職場が常にさわやかで、活気あふれたものであるために は、一人一人がフェアなプレイヤーであるとともに、厳しい審判の目を持つことが必要です。
この「フェアプレイ精神」というのは、これはも う当たり前のことのように、皆さんお考えだと思います。フェアプレイと今、ここで私が言っていますのは、公正ということです。つまり、公正さを尊ぶ精神、 これは公正な、フェアな、正しいことを正しく貫くということを、企業の規律の中心に置くべきだとずうっと思ってきました。つまり、不正なことは一切しては ならない。これは上から下までしてはいけないということ。それを会社を律する会社の規則、規律、そういうものの中心に置くべきだと思っておりました。
こ のフェアプレイ精神を社内に深く定着させるということが必要なわけです。不正なことをしてはいけませんよ、トップの社長から下の人まで、非常にきれいな生 き方をしなきゃいけませんよ、ということを、社内で説いてまいりましたけれども、フェアプレイ精神を貫くといって、今読みましたような言葉を掲げて社員に 説いて見せて、ウチの会社はそれで行きますよ、と言ったって、そのときは「そうやな」とみんな思うのですが、そういつまでも全部覚えているわけじゃありま せん。実際の職場で働いている人になりますと、それがいつの間にか、それぞれの人が、それぞれの判断をし、踏み外してしまうということが起こるわけです。
そ こで、このフェアプレイ精神を貫くということは、公正さを尊ぶ精神を、企業のなかの規律の中心に置いて、ウチの会社はこういう生き方で行きますよ、という ことをハッキリさせなければならないと同時にこういうことはしてはいけませんという具体的なことを全部挙げて、規律のなかに付け加えておかなければなりま せん。そして大事なことは会社のなかで、誰であっても。「誰であっても」というのは、どんな下っ端であっても、会社のなかの矛盾や不正に気付いたら正々堂 々と指摘すべきですということです。つまり、会社のなかに、役職が上にある、下にあるということに限らず、誰であっても厳しい審判の目を持って、会社のな かを見る人が要るわけです。全社員が厳しい審判の目で、みんなが見ているという、そういう雰囲気を作らなければいけません。
とかく会社というのは 組織がございますから、この組織のなかで下克上、つまり下の人間が、上の人の揚げ足をとって、上の人を陥れようとするような傾向があって、下克上は下から そういうことを言うということ。人の悪口を言うのはあまりいいことじゃないと思いますが、そういう雰囲気があります。どうしても下の人間が、上の人の足を 引張って、自分の正当性を。つまり自分がええ格好をせんがために、あえて上司の悪口を言って、そして足を引張ろうとするような人も、なかにはおるわけで す。
そういう人もおりますだけに、どうしても人の悪口を言う、人の足を引張るようなことを言うということは、その人の人格に関わるような気がす る。そういう人の悪口を言うということは、どうもアイツはワルや、と。悪口を言う奴が悪いというふうな、そういう雰囲気が我々の社会には全部あるわけで す。ありますから、どうしても不正に気が付いてもよう言わんといいますか。
言わないもんだから、それがなかにずうっと渦巻いていく。そうするとひとつ不正が許されると、それをはたから見ていて、あ、あれでいいんやな、ということになり、それをまた真似をする人が出てくる。そういうことで、会社のモラルは急激に悪くなっていきます。
つ まり、下克上。下の人が上の人のことを、会社のなかの批判をするということを封じ込めるということがないように、そういうことを言える雰囲気といいます か。その場合も単なる非難中傷、会社の悪口を言い、上司の悪口を言う、ただ非難中傷するというようなことは、これはピシッと文句を言わなければなりませ ん。それがどんどん起こっていったのでは収拾がつかなくなりますから。本当に不正があったとき、本当に矛盾があったとき、その矛盾を指摘し、「社長、こう いうことがウチの会社で行なわれていますが、これはいいんでしょうか。これは私は問題だと思いますが」と。そういう意味の建設的な意見というのは、いく ら、どんな下っ端が言ってもよろしい。それは上司は聞く耳があります、という、そういう雰囲気をぜひ、会社のなかには作っていただきたい。このように思っ ています。

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