稲盛塾長の講話より
「公私のけじめを大切にする」という項目であります。これは、次のように京セラフィロソフィに書いてます。
仕事をしていく上では、公私のけじめをはっきりつけなければなりません。
プ ライベートなことを勤務時間中に持ち込んだり、仕事の上の、仕事上の立場を利用して、取引先の接待を受けたりすることは厳に慎まなければなりません。勤務 時間中の私用の電話の受発信を禁止したり、仕事を通じての戴きものを個人のものとせず、みんなで分けあっているのもそのためです。
これはささいな公私混同でも、モラルの低下を引きおこし、ついには会社全体を毒することになってしまうからです。
私達は公私のけじめをきちんと付け、日常のちょっとした心の緩みに対しても、自らを厳しく律していかなければなりません。
このように私は、会社をつくった当時から言ってまいりました。
極 端なことですけれども、会社が始まった頃でしたので、勤務時間中の私用の電話の受発信は禁止をしました。つまり、会社にプライベートな電話がかかってくる ことも禁止。プライベートなことでもって会社の電話を使って電話をすることも禁止という。当時、今から40年前の話ですから、会社も小さい中小企業であっ たこともあって、本当に、先ほど言いました「有意注意」、真剣に仕事をしているときに、プライベートなことでもって友達から電話がかかってきました、とい うので簡単にそれを取り次いで、そしてまた、友達と今度、次の日曜日に遊ぼうやないか、と話をしている。そんなことでは話にならんではないか、と。まして や、こんな会社の電話を使ってプライベートなことで電話で会話をするということがあっては許せん。必死に、真剣に仕事をして貰わなければ困る、と。そう 思っておったこともあって、公私のけじめをつけるということは非常に厳しく言いました。
しかし、なぜ私が、それほど厳しく公私の区別と言ったかといいますと、これは一事が万事、緩めていきますと、際限もなく公私の区別がなくなっていくということなのです。それを非常に恐れたわけです。
会 社におって、会社で大きい発注ができる。注文をする、またモノを買ってあげる。そうすると売る側は、その人がそういう権限を持っていますと、一生懸命ゴマ をすって取り入っていれば、その人が注文をしてくれるかもしれないと思いますから、そうすると盆暮れには贈り物のひとつもして、注文を受けられるように、 いい印象を持ってもらうというのは、人間として当然の感情ですから、そういうことは当然、注文を取りたい人はしてくるわけです。
そうすると、まあ 菓子折のひとつ、果物箱のひとつぐらい、自分がそういう立場にあるのだから、そのくらいのことはいいじゃないか、と。ところが、最初は菓子折ひとつ、 500円の菓子折、いや1000円の菓子折 ひとつだったのだから、そのくらいは貰ってもええやないかと貰うと、その次にはさらにそれが大きくなってく る。段々なっていく。
つまり、一度そういう役職でもって得をすると、それが段々習い性になっていく。そして次第次第に、そういう役得を認めておりますと、段々卑しい人間になっていく。つまり卑なる人間、卑しい人間を会社のなかで育てることになってしまいます。
人間で一番レベルの低い、人格の低い人と言いますのは、卑しい人です。人間として一番ダメな人です。その卑しい人を育てることになってはいけません。そのためには非常に厳格なくらいに公私の分別をしておく必要があります。
「公私のけじめを大切にする」という項目であります。これは、次のように京セラフィロソフィに書いてます。
仕事をしていく上では、公私のけじめをはっきりつけなければなりません。
プ ライベートなことを勤務時間中に持ち込んだり、仕事の上の、仕事上の立場を利用して、取引先の接待を受けたりすることは厳に慎まなければなりません。勤務 時間中の私用の電話の受発信を禁止したり、仕事を通じての戴きものを個人のものとせず、みんなで分けあっているのもそのためです。
これはささいな公私混同でも、モラルの低下を引きおこし、ついには会社全体を毒することになってしまうからです。
私達は公私のけじめをきちんと付け、日常のちょっとした心の緩みに対しても、自らを厳しく律していかなければなりません。
このように私は、会社をつくった当時から言ってまいりました。
極 端なことですけれども、会社が始まった頃でしたので、勤務時間中の私用の電話の受発信は禁止をしました。つまり、会社にプライベートな電話がかかってくる ことも禁止。プライベートなことでもって会社の電話を使って電話をすることも禁止という。当時、今から40年前の話ですから、会社も小さい中小企業であっ たこともあって、本当に、先ほど言いました「有意注意」、真剣に仕事をしているときに、プライベートなことでもって友達から電話がかかってきました、とい うので簡単にそれを取り次いで、そしてまた、友達と今度、次の日曜日に遊ぼうやないか、と話をしている。そんなことでは話にならんではないか、と。まして や、こんな会社の電話を使ってプライベートなことで電話で会話をするということがあっては許せん。必死に、真剣に仕事をして貰わなければ困る、と。そう 思っておったこともあって、公私のけじめをつけるということは非常に厳しく言いました。
しかし、なぜ私が、それほど厳しく公私の区別と言ったかといいますと、これは一事が万事、緩めていきますと、際限もなく公私の区別がなくなっていくということなのです。それを非常に恐れたわけです。
会 社におって、会社で大きい発注ができる。注文をする、またモノを買ってあげる。そうすると売る側は、その人がそういう権限を持っていますと、一生懸命ゴマ をすって取り入っていれば、その人が注文をしてくれるかもしれないと思いますから、そうすると盆暮れには贈り物のひとつもして、注文を受けられるように、 いい印象を持ってもらうというのは、人間として当然の感情ですから、そういうことは当然、注文を取りたい人はしてくるわけです。
そうすると、まあ 菓子折のひとつ、果物箱のひとつぐらい、自分がそういう立場にあるのだから、そのくらいのことはいいじゃないか、と。ところが、最初は菓子折ひとつ、 500円の菓子折、いや1000円の菓子折 ひとつだったのだから、そのくらいは貰ってもええやないかと貰うと、その次にはさらにそれが大きくなってく る。段々なっていく。
つまり、一度そういう役職でもって得をすると、それが段々習い性になっていく。そして次第次第に、そういう役得を認めておりますと、段々卑しい人間になっていく。つまり卑なる人間、卑しい人間を会社のなかで育てることになってしまいます。
人間で一番レベルの低い、人格の低い人と言いますのは、卑しい人です。人間として一番ダメな人です。その卑しい人を育てることになってはいけません。そのためには非常に厳格なくらいに公私の分別をしておく必要があります。

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