稲盛塾長の講話より
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もうダメだというときが仕事のはじまり
(第2章第4節「新しいことを成し遂げる」)
ものごとを成し遂げていくもとは、才能や能力というより、その人の持っている熱意や情熱、さらには執念です。すっぽんのように食らいついたら離れないというものでなければなりません。もうダメだ、というときが本当の仕事のはじまりなのです。
強い熱意や情熱があれば、寝ても覚めても四六時中そのことを考え続けることができます。それによって願望は潜在意識へ浸透していき、自分でも気づかないうちに、その願望を実現する方向へと身体が動いていって、成功へと導かれるのです。
すばらしい仕事を成し遂げるには、燃えるような熱意、情熱をもって最後まで諦めずに粘り抜くことが必要です。
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私が30代の頃、日立の研究所の人達200人ぐらいの前で「研究開発のやり方」というテーマで話をしたことがあります。日立は技術的にもたいへん優れてい て、研究者の人達に博士号を取ることを推奨していました。ですから、聞きに来ていた200人の研究者のなかには博士号を持った人がたくさんいました。
私が話し終えたとき、「京セラでは研究開発をした場合、どのくらいの成功率ですか?」という質問がありました。当時は私が直接に研究開発を指揮していましたので、「京セラは成功するまでやりますから、ウチでは研究したものは大体全部うまく行っています」と答えました。
そうしたら、みんな笑うのです。「なんや、そんなもん当たり前やないか」という笑いです。しかし、もうダメだというときが仕事の始まりだという哲学がウチ にはありますから、もうダメだということがない。研究を始めたら、成功するまでやり抜く。だからウチの研究は100%成功しますよという意味で言ったので す。
ただし、100%成功したわけではありません。事業でも、とことんまでやって、やっぱりこれはダメだからとやめたものも、二つ三つありま す。ですが、もうダメだというときが仕事の始まりだということは私の根本的な信条になっていますから、今でもとことんやり抜いています。
普通なら諦めているのに、粘って粘って成功させるという戦法を取ることは、人生ではどうしても必要なのです。ところが、粘れないケースが大半です。
大体研究をやめるのは、資金が続かないからなのです。日立でも東芝でも、どこでもそうです。成功するまで続けるのは、続けるだけの資金的な余裕があるからです。つまり、元々余裕のある経営をやっていなければ、こんな事はできないのです。
京セラフィロソフィのなかに「常に土俵の真ん中で相撲をとれ」という言葉があります。土俵の真ん中で相撲をとっていますと、まだ後ろがあって余裕がありま す。徳俵に足がかかっていないから続けられるわけです。ところが一般の人が「もうダメだ」というときは、本当にダメなのです。足が俵から出ているのです。 それでも「まだ頑張ります!」と言ったところで、行司が「ハイ、お終い」と言っているのですから、いくら粘ろうと思っても粘れません。ですから、ここで言 う「もうダメだというときが仕事の始まり」というのは、本当にダメになっていない状態です。余裕がなければならないということです。
事業でも、もうダメだからやめようかなと何回も思うのですが、それでも粘って続けていくけるのは、余裕があるからなのです。たとえば今、親から引き継いだ 事業があって、その他に自分で新しい事業を手がけているとします。そしてその新しい事業が若干の赤字を出している場合に、本業で十分に利益が出ているから 頑張っていけるという場合です。または、この事業を5年やったけれども、やめようかなと思っているけれども、もうちょっと頑張ってみようと思っている場合 です。この赤字のために本業までダメになってしまっているようでは、それは続けられないのです。
しかし創業のときのことを考えてみますと、余裕があったわけではありません。たとえば、私を支援してくれた8人の仲間と一緒に京セラをつくった時、その時は「稲盛和夫の技術を世間に問うための場として京セラをつくる」という目的だったのです。
私がサラリーマンで勤めていたとき、私は一生懸命にいい技術開発をしました。けれども会社の上層部でそれに反対する人がいたり、世間の学会でも学閥があっ て、地方大学を出てボロっちい会社の研究所で研究している人間の論文なんて軽く見られる。そういうことがあったりして、どうもうまくいきませんでした。で すから、今度新しくつくった京セラという会社は、稲盛和夫の技術を世間に問う場にしようという事でつくってもらったのです。
その仲間達はこうい うことを言ってくれました。『もし会社がうまく行かずに潰れた時には、私を除いた7人の仲間で日雇い労働に行って、日銭を稼いででもいいから、私に研究を 続けさせよう。そして何年か後、必ず私が研究した成果を引っ提げて稲盛和夫の技術を問おう』。実はそういう約束で会社が始まったわけです。
まさに最初のときから、「もうダメだというときが仕事の始まり」であったわけです。会社をつくるときから仲間同士でそのような約束事を交え、そのような思想でやってきたのです。
また、私が常に考えている事にこのようなことがあります。たとえば仕事が非常に厳しい状態になり、「車もサラ金に取られてしまったし、何もなくなった。 残ったのは借金と3人の従業員だけだ。だからもう諦めました」と言う人がいますが、そういうことを聞くと、まだ足があるではないか、と思うのです。自動車 がなければ走り回れないと思っているからで、自転車で走れば仕事ができるではないか、と思うのです。
つまり、自分で限界を作ってしまっているのです。車がなければ私の商売ができないという限界を作っているものだからできないのです。無一文でも頑張ればいいのです。
私は先ほど、もうダメだというのは余裕があってのことだと言いましたが、余裕がない場合でも、裸一貫までいけのです。「いくら借金取りでも命までは取らな い。まだ五体が残っているではないか、オレはそれで頑張る」という気持ちが要るのです。本当は余裕がなければいけないから「五体が残っておるやないか」と いうのは自爆型です。余裕は必要ですが、「もうダメだというときが仕事の始まりだ」というのは、裸一貫までいってもまだ粘るということなのです。
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もうダメだというときが仕事のはじまり
(第2章第4節「新しいことを成し遂げる」)
ものごとを成し遂げていくもとは、才能や能力というより、その人の持っている熱意や情熱、さらには執念です。すっぽんのように食らいついたら離れないというものでなければなりません。もうダメだ、というときが本当の仕事のはじまりなのです。
強い熱意や情熱があれば、寝ても覚めても四六時中そのことを考え続けることができます。それによって願望は潜在意識へ浸透していき、自分でも気づかないうちに、その願望を実現する方向へと身体が動いていって、成功へと導かれるのです。
すばらしい仕事を成し遂げるには、燃えるような熱意、情熱をもって最後まで諦めずに粘り抜くことが必要です。
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私が30代の頃、日立の研究所の人達200人ぐらいの前で「研究開発のやり方」というテーマで話をしたことがあります。日立は技術的にもたいへん優れてい て、研究者の人達に博士号を取ることを推奨していました。ですから、聞きに来ていた200人の研究者のなかには博士号を持った人がたくさんいました。
私が話し終えたとき、「京セラでは研究開発をした場合、どのくらいの成功率ですか?」という質問がありました。当時は私が直接に研究開発を指揮していましたので、「京セラは成功するまでやりますから、ウチでは研究したものは大体全部うまく行っています」と答えました。
そうしたら、みんな笑うのです。「なんや、そんなもん当たり前やないか」という笑いです。しかし、もうダメだというときが仕事の始まりだという哲学がウチ にはありますから、もうダメだということがない。研究を始めたら、成功するまでやり抜く。だからウチの研究は100%成功しますよという意味で言ったので す。
ただし、100%成功したわけではありません。事業でも、とことんまでやって、やっぱりこれはダメだからとやめたものも、二つ三つありま す。ですが、もうダメだというときが仕事の始まりだということは私の根本的な信条になっていますから、今でもとことんやり抜いています。
普通なら諦めているのに、粘って粘って成功させるという戦法を取ることは、人生ではどうしても必要なのです。ところが、粘れないケースが大半です。
大体研究をやめるのは、資金が続かないからなのです。日立でも東芝でも、どこでもそうです。成功するまで続けるのは、続けるだけの資金的な余裕があるからです。つまり、元々余裕のある経営をやっていなければ、こんな事はできないのです。
京セラフィロソフィのなかに「常に土俵の真ん中で相撲をとれ」という言葉があります。土俵の真ん中で相撲をとっていますと、まだ後ろがあって余裕がありま す。徳俵に足がかかっていないから続けられるわけです。ところが一般の人が「もうダメだ」というときは、本当にダメなのです。足が俵から出ているのです。 それでも「まだ頑張ります!」と言ったところで、行司が「ハイ、お終い」と言っているのですから、いくら粘ろうと思っても粘れません。ですから、ここで言 う「もうダメだというときが仕事の始まり」というのは、本当にダメになっていない状態です。余裕がなければならないということです。
事業でも、もうダメだからやめようかなと何回も思うのですが、それでも粘って続けていくけるのは、余裕があるからなのです。たとえば今、親から引き継いだ 事業があって、その他に自分で新しい事業を手がけているとします。そしてその新しい事業が若干の赤字を出している場合に、本業で十分に利益が出ているから 頑張っていけるという場合です。または、この事業を5年やったけれども、やめようかなと思っているけれども、もうちょっと頑張ってみようと思っている場合 です。この赤字のために本業までダメになってしまっているようでは、それは続けられないのです。
しかし創業のときのことを考えてみますと、余裕があったわけではありません。たとえば、私を支援してくれた8人の仲間と一緒に京セラをつくった時、その時は「稲盛和夫の技術を世間に問うための場として京セラをつくる」という目的だったのです。
私がサラリーマンで勤めていたとき、私は一生懸命にいい技術開発をしました。けれども会社の上層部でそれに反対する人がいたり、世間の学会でも学閥があっ て、地方大学を出てボロっちい会社の研究所で研究している人間の論文なんて軽く見られる。そういうことがあったりして、どうもうまくいきませんでした。で すから、今度新しくつくった京セラという会社は、稲盛和夫の技術を世間に問う場にしようという事でつくってもらったのです。
その仲間達はこうい うことを言ってくれました。『もし会社がうまく行かずに潰れた時には、私を除いた7人の仲間で日雇い労働に行って、日銭を稼いででもいいから、私に研究を 続けさせよう。そして何年か後、必ず私が研究した成果を引っ提げて稲盛和夫の技術を問おう』。実はそういう約束で会社が始まったわけです。
まさに最初のときから、「もうダメだというときが仕事の始まり」であったわけです。会社をつくるときから仲間同士でそのような約束事を交え、そのような思想でやってきたのです。
また、私が常に考えている事にこのようなことがあります。たとえば仕事が非常に厳しい状態になり、「車もサラ金に取られてしまったし、何もなくなった。 残ったのは借金と3人の従業員だけだ。だからもう諦めました」と言う人がいますが、そういうことを聞くと、まだ足があるではないか、と思うのです。自動車 がなければ走り回れないと思っているからで、自転車で走れば仕事ができるではないか、と思うのです。
つまり、自分で限界を作ってしまっているのです。車がなければ私の商売ができないという限界を作っているものだからできないのです。無一文でも頑張ればいいのです。
私は先ほど、もうダメだというのは余裕があってのことだと言いましたが、余裕がない場合でも、裸一貫までいけのです。「いくら借金取りでも命までは取らな い。まだ五体が残っているではないか、オレはそれで頑張る」という気持ちが要るのです。本当は余裕がなければいけないから「五体が残っておるやないか」と いうのは自爆型です。余裕は必要ですが、「もうダメだというときが仕事の始まりだ」というのは、裸一貫までいってもまだ粘るということなのです。

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