信念を貫く

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稲盛塾長の講話より
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(第2章第4節「新しいことを成し遂げる」)

 仕事をしていく過程には、さまざまな障害がありますが、これをどう乗り越えていくかによって結果は大きく違ってきます。
  何か新しいことをしようとすると、反対意見やいろいろな障害が出てくるものです。そのようなことがあると、すぐに諦めてしまう人がいますが、すばらしい仕 事をした人は、すべてこれらの壁を高い理想に裏打ちされた信念でもって突き崩していった人たちです。そうした人たちは、これらの障害を試練として真正面か ら受け止め、自らの信念を高く掲げて進んでいったのです。
 信念を貫くには大変な勇気が必要ですが、これがなければ革新的で創造的な仕事はできません。

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 「信念を貫く」とは、「信条を貫く」という言葉にかえてもいいかもしれません。信念を貫くには、貫くべき信念を持っていることが必要ですから、まずもって信念を持つことが大切だという前提が、この項目にあるのです。
  よく文化人と称する人たちが我々企業人を軽蔑して「所詮は中小企業で、利益を追求している卑しい連中ではないか。」と言わんばかりの評論を書いたりしてい ます。もし我々が事業経営をしていくとき、ただ単にお金を儲けたいがために事業をしているとすれば、これはいかがなものかと思います。  
 とこ ろが、ただ単に儲ける儲けないという問題ではなくて、私はこういう信念で企業経営をやっていきますという人の場合、────たとえば、私は人間として何が 正しいのかということを貫いていくのです、その結果、私は事業を繁栄させていき、そのなかで従業員を幸せにすると同時に社会のためにも貢献し、併せて私自 身も幸せになっていこうと思っているのです。今儲かるか儲からんかというショートレンジに考えるのではなく、人間として何が正しいのか、社会にとって何が 正しいのかという理念を持っている、そしてその理念を信念にまで高めて持っているのです。
 人間というものは面白いもので、どんな困難に遭遇しようとも、自分を励まし、自分をそれに向かわせていくものは信念なのです。要はその信念があるかないかということなのです。
  それに近いものに信仰があります。たとえば、隠れキリシタンの人達に踏み絵をさせる。そして十字架を踏むことができない人、自分の信仰・信念を偽ることが できない人が死んで行きました。つまり、命を落としても構わないというものが信仰であり、信念なのです。信念に殉じて命を落とした人はたくさんいます。人 間に最も勇気を与えるものが信念なのです。ですから戦をする時、明治維新でも第二次世界大戦にしても昔から大義名分を押し立てたのです。
 
  この厳しい経済環境のなかで中小企業を引っ張って生きていくには、本当に命をかけて戦わなければなりません。その命をかけられるのは、「なぜオレは経営を するのか」という素晴らしい信念を持っているからです。最初はお父さんがやった事業を継いだというだけで、別に信念があったわけではないんですが、盛和塾 で勉強をし始めて、「オレはこの会社を通じて従業員を幸せにし、できれば地域社会にも貢献し、社会の発展に貢献したいと思う」という理念を確立し、その理 念を信念にまで高めて持つことが必要なのです。


 脱線しますが、たとえば従業員を10人、20人抱えて経営をしているとします。 特にこういう時代になれば、従業員の生活を守るだけでも社会的にたいへんな貢献をしているのです。そのことをガッチリと思っていますと、たとえヤクザ者が 脅しにきても、本当に勇気を奮い起こして立ち向かっていく事ができます。親の事業を継いで、そして従業員を守らなきゃならんと思った瞬間から度胸が決ま る。怖いけれども、それに負けていたのでは自分の従業員を路頭に迷わせてしまうと思った瞬間、ヤクザにも負けんぐらいの勇気が出てくる。また、身体は小さ いけれども、その気迫に押されてヤクザでも手が出ないという。それが「真の勇気」なのです。
 真の勇気とは、大義名分や信念を持った人でなければ出てこないのです。打算や損得勘定だけでは、そんな強いものは出やしないのです。
  よく「私は信念を持っています」と言います。「私は信念を曲げることができません。だから、ヤクザが何と言おうとそれはできません」と言います。本来な ら、気の弱い男で、ひとりだったら簡単にヤクザの言いなりになるところを、信念、大義名分を持つことによって「一切それはできません! 私には信念があり ます。信念のために殉じます」という勇気にもなっていくのです。
 先ほど、技術があったわけでもないのに、私は電気通信事業に出ていったという話 をしましたが、いざ私がのり出した時にはたいへんな大問題がいっぱい待ち受けていました。それに挫けないでやり通していったのは、「NTT独占のなかで、 日本の一般大衆は高い通信料金を取られている。私が電気通信事業に乗り出して、日本の通信料金を安くしよう。国民のために私は立つんだ」という信念を貫く という一点があったからです。そういう大義、信念を持って電気通信事業に乗り出しましたから、どんな問題に当たろうとも、凄まじい信念で貫いていったので す。
単なる事業欲でもって金儲けをしよう、通信に手を出して成功すればお金儲けになる、いや、それをやって有名になろうという名誉欲でやっていた なら、いろんな局面で妥協したでしょう。または圧力がかかってくれば、ヒョイヒョイと身をかわしながらうまくすり抜けていこうとしたでしょう。ですが私に は、通信料金を安くして、国民の負担を軽くしてあげようという信念がありますから、どんな障壁があろうとも、ビクともしないで貫いていけたわけです。



   先ほど、勇気、忍耐、努力と言いましたが、経営者にとって勇気は非常に重要なものなのです。勇気というものは、肉体的な強健さと比例しています。健全な精 神は健全な肉体に宿ると言われるように、口喧嘩にしても取っ組み合いのケンカにしても体力的に自信がなければ男でも女でも怖いものです。 だけれども、経 営者やリーダーほど勇気の要る仕事はないのです。ですから、本当にか弱い非力な肉体しか持っていなくても、ケンカなんかしたことがなくて、年中負けてばか りで泣かされてばかりいたというのでも構いません。だけれども、信念で固めてビクともしないこと。たとえ誰が相手でも、「自分の家族と従業員を守るために は、私は命を捨てても構わない」と立ち向かっていきさえすれば、ビクともしないのです。それは怖いかもしれませんが、信念というもので裏打ちをして度胸を つけるということが必要なのです。



 第二次世界大戦の時、私は中学生でしたが、『アメリカはデタラメな国なのだ、利己的で、資本主義だけれども、日本は天皇制の下で礼儀正しい国だ』とか、そんなことばかり教えられました。
  ところが、そのアメリカが戦争では強いのです。たしかに資本主義で利己的で、当時の日本と較べればいくらかデタラメな国がなぜあんなに強かったのか、私は たいへん疑問に思っていました。ですから戦後、アメリカで会社をつくった時に訊いてみたのです。するとアメリカの軍隊は言葉も通じない連中の寄せ集めだっ たのです。色んな種類の人がいる非常にまとまりのない軍隊です。その中で彼らは、あの星条旗の旗の下、「このくらい自由な国はないでしょう」と言ったので す。確かに英語が喋れなくても住めるのですから、自由でたいへん住みやすい国です。当時、日本はファシズム、ドイツもイタリアもファシズムです。専制国家 でお上がいて、一般市民、一般大衆が虐げられていた時代に、アメリカぐらい自由な国はありません。「国民の、国民による、国民のための国家、自由な国家ア メリカ。世界をみても、これほど自由な国はないでしょう。この自由な国家を日本やドイツに踏みにじられたら、二度とこの自由は得られません。わが自由な国 家アメリカを守るために銃を取りましょう」と言ったのです。
 素晴らしい大義名分です。そういうものを押し立てていったときに、はじめて、雨あられと降り注ぐ弾のなか、命をかけて戦う闘志が現れてきます。ですから、「信念」はたいへん大事な事なのです。
 まずは信念を持つこと。そしてその信念を貫く、信念に殉ずることはたいへん大事だと思いますので、頑張っていただきたいと思います。


  冒頭に言いましたように、今日は京セラフィロソフィの第2章「素晴らしい人生を送るために」のなかにある、第4節「新しいことを成し遂げる」という項目か ら五つを解説しましたが、この5項目はたいへん大事なことです。新しいことを成し遂げるためには非常に必要なことだとして申し上げたわけですが、サミュエ ル・ウルマンが書いた「青春」という詩があります。皆さんもご存知かと思いますけれども、今日私が言いましたことが、そのなかに全部入っております。少し 読んでみます。

青春とは人生の或る期間を云うのではなく
心の様相を云うのだ
優れた創造力 逞しき意志 燃ゆる情熱
怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心 安易を振り捨てる冒険心
こういう様相を青春と云うのだ


  私は今日、いろんなことを申しました。情熱が要りますよ、熱意が要りますよ、開拓者でなければいけませんよ、冒険心がなければいけませんよ、創造力が要り ますよ、チャレンジ精神が要りますよ、可能性が要りますよ────と、いっぱい言いました。つまり、「新しいことを成し遂げる」という項目のなかで申し上 げた五つは、まさにサミュエル・ウルマンが言った「青春」という詩のなかに出てくることなのです。サミュエル・ウルマンは「青春は年齢ではなく、心の状態 を言うのだ」と言い、「優れた創造力、逞しき強い意志、燃える情熱、卑怯さを退ける勇猛心、ええ加減でダラダラした生活を振り捨てる冒険心、こういう様相 を青春と言うのだ」と言っています。青春でなければ、新しいことを成し遂げることはできないのです。


年を重ねただけで人は老いない
理想を失うときに初めて老いがくる
歳月は皮膚の皺を増すが
情熱を失うときに精神は萎む
苦悶や 狐疑や 不安 恐怖 失望
こういうものこそ恰も長年月(ながねんげつ)の如く人を老いさせ
精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう
年は七十であろうと 十六であろうと
その胸中に抱きうるものは何か
曰く 驚異への愛慕心 空にきらめく星辰
その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)
事に処する剛毅な挑戦
小児の如く求めて止まぬ探求心
人生への歓喜と興味
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
大地より 神より 人より
美と喜悦 勇気と壮大 そして偉力の霊感を受ける限り
人の若さは失われない
これらの霊感が絶え
悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽(おお)い尽くし
皮肉の厚氷がこれを固く閉ざすに至れば
このときにこそ人は全くに老いて
神の憐れみを乞うる他はなくなる

  まさに「青春」という詩に凝縮されたこと、それが新しいことを成す要素です。青春とは齢ではありません。心の様相を言うのだとサミュエル・ウルマンも言っ ていますので、ぜひ新しいものを成すに値する、今日の五つの項目を忘れないで仕事に励んでください。   

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このページは、前田が2008年7月20日 09:17に書いたブログ記事です。

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