稲盛塾長の講話より
《 超楽観の構想から始まったセルラ-事業 》
実例としまして、第二電電をつくって間 もない頃の話です。第二電電は国内の長距離回線をするのが仕事ですが、第二電電をつくって間もない頃に、郵政省から今の携帯電話、当時の自動車電話を開放 して、新規参入をさせようという構想が上がってきました。そのときに私は、携帯電話、今のセルラー電話事業に乗り出そうと、非常に張り切っておりました。
当時、携帯電話というものはありません。自動車電話と言われていました。
自動車電話というのは、自動車のトランクに大きな箱、無線の送受信機を載せて、そのトランクから線を引っ張って車内に受話器が付いているというものです。
私は半導体(LSI) パッケージを全世界に供給していましたので、超LSIの進歩の歴史をずっと見てきました。ですから、今のままで半導体が成長発展し ていけば、大きなトランクのなかに入っていた送受信機が小さく小さくなって、携帯電話のの時代が5年、いや、7,8年先には必ず来るだろうと考えておりま した。
私なりにカンを働かせていたわけです。ですから、自動車電話の解禁をするときに、私はいの一番に「第二電電がやりたい」と手を挙げました。
私は日本では他に誰も手を挙げないだろうと思っていましたら、トヨタが手を挙げ、結局、2社の競願になりました。
当時、第二電電の社内で私は「自動車電話をやろう」と言ったのですが、役員会では社長以下、みんなが反対しました。
まさに今の話です。「それはいかにムチャなことか、会長はご存知ですか。NTTも赤字ですよ。アメリカの会社もすべて赤字ですよ」と言われました。
「第二電電という新規参入した電話事業が開業できるかできないかというところにきているのに、改めて自動車電話にお金がかかる。今、投資しているものの営業も始まっていないのにやるなんて、無謀です」と皆に反対されました。
そのときにひとりだけ、郵政省から来た、元々事務屋だった人が私の意見に賛成してくれました。先ほど言った、超楽観的というやつです。
その人は役員ではありませんが、総スカンを食っているところに、ただひとりの援軍ですから、私も「おまえはいいことを言ってくれる。みんな反対なら、おまえと二人でやろう」と言いました。
そう言って始まったのが、第二電電の携帯電話事業なんです。もう語り草になっております。
しかし、「おまえと二人でやろうな」と言って始めましたが、実際にやる段階では、反対した連中を全部メンバーに加えていきました。そして、それを完成させていったのは、最初に反対した連中でした。
《 超楽観の構想から始まったセルラ-事業 》
実例としまして、第二電電をつくって間 もない頃の話です。第二電電は国内の長距離回線をするのが仕事ですが、第二電電をつくって間もない頃に、郵政省から今の携帯電話、当時の自動車電話を開放 して、新規参入をさせようという構想が上がってきました。そのときに私は、携帯電話、今のセルラー電話事業に乗り出そうと、非常に張り切っておりました。
当時、携帯電話というものはありません。自動車電話と言われていました。
自動車電話というのは、自動車のトランクに大きな箱、無線の送受信機を載せて、そのトランクから線を引っ張って車内に受話器が付いているというものです。
私は半導体(LSI) パッケージを全世界に供給していましたので、超LSIの進歩の歴史をずっと見てきました。ですから、今のままで半導体が成長発展し ていけば、大きなトランクのなかに入っていた送受信機が小さく小さくなって、携帯電話のの時代が5年、いや、7,8年先には必ず来るだろうと考えておりま した。
私なりにカンを働かせていたわけです。ですから、自動車電話の解禁をするときに、私はいの一番に「第二電電がやりたい」と手を挙げました。
私は日本では他に誰も手を挙げないだろうと思っていましたら、トヨタが手を挙げ、結局、2社の競願になりました。
当時、第二電電の社内で私は「自動車電話をやろう」と言ったのですが、役員会では社長以下、みんなが反対しました。
まさに今の話です。「それはいかにムチャなことか、会長はご存知ですか。NTTも赤字ですよ。アメリカの会社もすべて赤字ですよ」と言われました。
「第二電電という新規参入した電話事業が開業できるかできないかというところにきているのに、改めて自動車電話にお金がかかる。今、投資しているものの営業も始まっていないのにやるなんて、無謀です」と皆に反対されました。
そのときにひとりだけ、郵政省から来た、元々事務屋だった人が私の意見に賛成してくれました。先ほど言った、超楽観的というやつです。
その人は役員ではありませんが、総スカンを食っているところに、ただひとりの援軍ですから、私も「おまえはいいことを言ってくれる。みんな反対なら、おまえと二人でやろう」と言いました。
そう言って始まったのが、第二電電の携帯電話事業なんです。もう語り草になっております。
しかし、「おまえと二人でやろうな」と言って始めましたが、実際にやる段階では、反対した連中を全部メンバーに加えていきました。そして、それを完成させていったのは、最初に反対した連中でした。

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