盛和塾 稲盛塾長の講話から
「土俵の真ん中で相撲をとる」とは、常に土俵の真ん中を土俵際だと思って、一歩も引けないという気持ちで仕 事にあたるということです。納期というものを例にとると、お客さまの納期に合わせて製品を完成させると考えるのではなく、納期の何日も前に完成日を設定 し、これを土俵際と考えて渾身の力をふり絞ってその期日を守ろうとすることです。そうすれば、万一予期しないトラブルが発生しても、まだ土俵際までには余 裕があるため、十分な対応が可能となり、お客さまに迷惑をおかけすることはありません。
このように、私達は常に安全弁をおきながら、確実に仕事を進めていく必要があります。
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このことに気が付いたのは、私が事業を始めた頃でした。中小零細企業で仕事をしていく中で、売掛金の回収が遅れ、手形決済の期日が来て、金が詰まってきた とします。どうしても金策をつけなければならず、夜中に友人のところに飛んで行って金策をする。あるいは銀行に走ったり、いろんな所に走りまわっているわ けです。そういう人をよく見たものです。
そういう人は、ギリギリになってから一生懸命に走りまわって、そしてやっと手形が落ちたら、「よかっ た。うまくいきましたわ」と、何か大きなひと仕事をしたような感じになっておられます。しかし、手形が落ちて元々で、落ちなければ倒産する。ただ潰れるの が潰れなかっただけのことですから、いいことをしたのでも何でもないのです。なのに、必死で夜通し駆けずり回って、ひと仕事したような、あたかも一端の事 業家みたいな顔をしておられる。
手形が落ちる日は前からわかっているし、その何日も前にお金の準備をしなければならないことはわかっているの に、何でギリギリになってから走りまわるのか。またそういう人に限って、必ず言い訳みたいな言葉がいっぱい付いてまわります。本当におかしな事です。金策 だけでなく、納期の問題でも同じ事です。
例えば相撲を見ている時、ズルズルッと土俵際まで後退してしまって、仕方がないからうっちゃり を打つ。そうすると必ず行司が判定に迷って軍配を上げ、物言いが付いて、判定が崩れたりする。そういう場面を見て、皆さん、思いませんか?「土俵際に追い 込まれてからうっちゃるという大技がかけられるぐらいなら、真ん中で大技をかけなさい」と。
土俵の真ん中で相撲をとるということは、つまり「余 裕のあるときに」ということなのです。業績が悪くなってきて、本業以外に何かやらなければならなくなってきたけれど、そのときには資金力も相当減り、体力 も弱ってきています。そうなってから、何か手を打とうとするのではなくて、体力のあるときに手を出しなさい。順調にいっているときには安心して何もしない で、悪くなってから手を打とうとするからますます悪くなるのです。
いいとき、絶好調のときに、そういう技をかけようと思うならかける。これが土俵の真ん中で相撲をとるという意味なのです。
これはちょっと、「ええ格好をしすぎはせんか」と皆さんから怒られるかもしれませんが、私は小学校に入ったときは両親がビックリするぐらい成績がよくて、 ウチの子は大したもんだと喜んでいたらしいのです。しかし長ずるに及んで学校が面白くなり、友達が増えてきて逆にガキ大将になって、小学校を卒業する頃に は、今で言うとオール3という成績になっていました。昔は甲乙丙丁と言いましたが、甲はひとつもなくて全部乙。それでも鹿児島一中という一流の中学校に行 こうと思ったのです。先生から「甲が一個もないよう者が受かるわけがない」と言われても、「どうしても行きたい」と言い張って受験をして、案の定すべった わけです。もちろん内申書も悪くて、「非常に素行が悪い」と書いてありますから、受からないのは当たり前です。
その後、他の中学に入るのですが、それでもやっぱり遊びがいい。旧制中学1年、2年のときは、派手なケンカをよくやりました。そういうことばかりしていますから、もちろん勉強はしていません。
勉強をしようと思ったのは、新制高校に変わり、高校1年生になってからでした。一緒に勉強をしている仲間が、『蛍雪時代』という本を見ておりました。「何だろう?」と思い、その本を借りて読んでみたら、目から鱗が落ちたのです。
それまではケンカが強いとか、野球のピッチャーでうまい事が私を支えていたプライドだったのですが、学校の成績が悪いことは非常にみっともないことだと初めて気が付きました。
正直、勉強をし始めたのは高校2年生の半ばぐらいでした。「これはしまった」と思い、もう一度中学1年生の勉強から、物理、化学、数学、全部やり直して受 験に備えていったのですが、優秀な頭脳を持っているわけではありませんから、努力でカバーする以外にはなかったのです。
普通は、みんな大学までは勉強をして、大学に入ったら遊ぶと言いますけれども、私の場合には中学、高校で勉強していなかったこと、知的なものに飢えていたこと、また遊ぶお金がなかったせいもあって、ガリガリ亡者みたいに勉強をしていました。
大学で試験の時には試験の1~2週間前には全部何回も復習をして、どこから問題が出ても100点満点取れるぐらいに勉強していました。皆さんも記憶にある と思いますが、勉強というものは大体うまくいきません。それは友達からの誘いがあったりしてつい付き合ってしまい「予習せんならん、復習せんならん」と思 いながらもギリギリまで来てしまうわけです。
やりたい、やりたいと思いながらも勉強ができないまま、ついに試験場に行く。「ああ、3分の2くら いしか調べられんかったな。もっと調べてくればよかったけど、時間がなかった。あそこが出なきゃいいのにな」と思って試験を受けると、案の定、そこが出て いる。「シマッタ」という経験が、真面目でちょっと勉強したタイプの人には必ずあります。
私はそれが非常にイヤなのです。高校の時、恥ずかしい と思って勉強を始めだした頃にそういうことを何回も経験していますから、そのくらい悔しい思いをするなら、うんと前に終わるように計画をすれば、どんな問 題があっても試験までには全部調べ終わる。そこまでの余裕をみたスケジュールで勉強すべきだと思って、大学時代、試験勉強をする時は試験の10日ぐらい前 には全部調べ終わるというスケジュールを自分で作っていました。
そういうふうに、試験日が決まっているのであれば何が起っても、その間、空白の 時間になっても、それに備えられるぐらいの余裕を持つ。つまり、土俵の真ん中で相撲をとるということです。その様に学生時代に余裕を持って勉強してきたも のですから、手形が落ちる落ちないと言って飛びまわっている人を見ては、「ああ、この人では会社を潰すわ」と思ったものです。自分が手形の決済日を出して いるのですから、手形を切ったときからわかっているはずなのです。
「土俵の真ん中で相撲をとる」とは、常に土俵の真ん中を土 俵際だと思って、一歩も引けないという気持ちで仕事にあたるということです。納期というものを例にとると、お客さまの納期に合わせて製品を完成させると考 えるのではなく、納期の何日も前に完成日を設定し、これを土俵際と考えて渾身の力をふり絞ってその期日を守ろうとすることです。そうすれば、万一予期しな いトラブルが発生しても、まだ土俵際までには余裕があるため、十分な対応が可能となり、お客さまに迷惑をおかけすることはありません。
このように、私達は常に安全弁をおきながら、確実に仕事を進めていく必要があります。
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このことに気が付いたのは、私が事業を始めた頃でした。中小零細企業で仕事をしていく中で、売掛金の回収が遅れ、手形決済の期日が来て、金が詰まってきた とします。どうしても金策をつけなければならず、夜中に友人のところに飛んで行って金策をする。あるいは銀行に走ったり、いろんな所に走りまわっているわ けです。そういう人をよく見たものです。
そういう人は、ギリギリになってから一生懸命に走りまわって、そしてやっと手形が落ちたら、「よかっ た。うまくいきましたわ」と、何か大きなひと仕事をしたような感じになっておられます。しかし、手形が落ちて元々で、落ちなければ倒産する。ただ潰れるの が潰れなかっただけのことですから、いいことをしたのでも何でもないのです。なのに、必死で夜通し駆けずり回って、ひと仕事したような、あたかも一端の事 業家みたいな顔をしておられる。
手形が落ちる日は前からわかっているし、その何日も前にお金の準備をしなければならないことはわかっているの に、何でギリギリになってから走りまわるのか。またそういう人に限って、必ず言い訳みたいな言葉がいっぱい付いてまわります。本当におかしな事です。金策 だけでなく、納期の問題でも同じ事です。
例えば相撲を見ている時、ズルズルッと土俵際まで後退してしまって、仕方がないからうっちゃり を打つ。そうすると必ず行司が判定に迷って軍配を上げ、物言いが付いて、判定が崩れたりする。そういう場面を見て、皆さん、思いませんか?「土俵際に追い 込まれてからうっちゃるという大技がかけられるぐらいなら、真ん中で大技をかけなさい」と。
土俵の真ん中で相撲をとるということは、つまり「余 裕のあるときに」ということなのです。業績が悪くなってきて、本業以外に何かやらなければならなくなってきたけれど、そのときには資金力も相当減り、体力 も弱ってきています。そうなってから、何か手を打とうとするのではなくて、体力のあるときに手を出しなさい。順調にいっているときには安心して何もしない で、悪くなってから手を打とうとするからますます悪くなるのです。
いいとき、絶好調のときに、そういう技をかけようと思うならかける。これが土俵の真ん中で相撲をとるという意味なのです。
これはちょっと、「ええ格好をしすぎはせんか」と皆さんから怒られるかもしれませんが、私は小学校に入ったときは両親がビックリするぐらい成績がよくて、 ウチの子は大したもんだと喜んでいたらしいのです。しかし長ずるに及んで学校が面白くなり、友達が増えてきて逆にガキ大将になって、小学校を卒業する頃に は、今で言うとオール3という成績になっていました。昔は甲乙丙丁と言いましたが、甲はひとつもなくて全部乙。それでも鹿児島一中という一流の中学校に行 こうと思ったのです。先生から「甲が一個もないよう者が受かるわけがない」と言われても、「どうしても行きたい」と言い張って受験をして、案の定すべった わけです。もちろん内申書も悪くて、「非常に素行が悪い」と書いてありますから、受からないのは当たり前です。
その後、他の中学に入るのですが、それでもやっぱり遊びがいい。旧制中学1年、2年のときは、派手なケンカをよくやりました。そういうことばかりしていますから、もちろん勉強はしていません。
勉強をしようと思ったのは、新制高校に変わり、高校1年生になってからでした。一緒に勉強をしている仲間が、『蛍雪時代』という本を見ておりました。「何だろう?」と思い、その本を借りて読んでみたら、目から鱗が落ちたのです。
それまではケンカが強いとか、野球のピッチャーでうまい事が私を支えていたプライドだったのですが、学校の成績が悪いことは非常にみっともないことだと初めて気が付きました。
正直、勉強をし始めたのは高校2年生の半ばぐらいでした。「これはしまった」と思い、もう一度中学1年生の勉強から、物理、化学、数学、全部やり直して受 験に備えていったのですが、優秀な頭脳を持っているわけではありませんから、努力でカバーする以外にはなかったのです。
普通は、みんな大学までは勉強をして、大学に入ったら遊ぶと言いますけれども、私の場合には中学、高校で勉強していなかったこと、知的なものに飢えていたこと、また遊ぶお金がなかったせいもあって、ガリガリ亡者みたいに勉強をしていました。
大学で試験の時には試験の1~2週間前には全部何回も復習をして、どこから問題が出ても100点満点取れるぐらいに勉強していました。皆さんも記憶にある と思いますが、勉強というものは大体うまくいきません。それは友達からの誘いがあったりしてつい付き合ってしまい「予習せんならん、復習せんならん」と思 いながらもギリギリまで来てしまうわけです。
やりたい、やりたいと思いながらも勉強ができないまま、ついに試験場に行く。「ああ、3分の2くら いしか調べられんかったな。もっと調べてくればよかったけど、時間がなかった。あそこが出なきゃいいのにな」と思って試験を受けると、案の定、そこが出て いる。「シマッタ」という経験が、真面目でちょっと勉強したタイプの人には必ずあります。
私はそれが非常にイヤなのです。高校の時、恥ずかしい と思って勉強を始めだした頃にそういうことを何回も経験していますから、そのくらい悔しい思いをするなら、うんと前に終わるように計画をすれば、どんな問 題があっても試験までには全部調べ終わる。そこまでの余裕をみたスケジュールで勉強すべきだと思って、大学時代、試験勉強をする時は試験の10日ぐらい前 には全部調べ終わるというスケジュールを自分で作っていました。
そういうふうに、試験日が決まっているのであれば何が起っても、その間、空白の 時間になっても、それに備えられるぐらいの余裕を持つ。つまり、土俵の真ん中で相撲をとるということです。その様に学生時代に余裕を持って勉強してきたも のですから、手形が落ちる落ちないと言って飛びまわっている人を見ては、「ああ、この人では会社を潰すわ」と思ったものです。自分が手形の決済日を出して いるのですから、手形を切ったときからわかっているはずなのです。
「土俵の真ん中で相撲をとる」とは、常に土俵の真ん中を土俵際だと思って、一歩も引けないという気持ちで仕 事にあたるということです。納期というものを例にとると、お客さまの納期に合わせて製品を完成させると考えるのではなく、納期の何日も前に完成日を設定 し、これを土俵際と考えて渾身の力をふり絞ってその期日を守ろうとすることです。そうすれば、万一予期しないトラブルが発生しても、まだ土俵際までには余 裕があるため、十分な対応が可能となり、お客さまに迷惑をおかけすることはありません。
このように、私達は常に安全弁をおきながら、確実に仕事を進めていく必要があります。
**************************************************************
このことに気が付いたのは、私が事業を始めた頃でした。中小零細企業で仕事をしていく中で、売掛金の回収が遅れ、手形決済の期日が来て、金が詰まってきた とします。どうしても金策をつけなければならず、夜中に友人のところに飛んで行って金策をする。あるいは銀行に走ったり、いろんな所に走りまわっているわ けです。そういう人をよく見たものです。
そういう人は、ギリギリになってから一生懸命に走りまわって、そしてやっと手形が落ちたら、「よかっ た。うまくいきましたわ」と、何か大きなひと仕事をしたような感じになっておられます。しかし、手形が落ちて元々で、落ちなければ倒産する。ただ潰れるの が潰れなかっただけのことですから、いいことをしたのでも何でもないのです。なのに、必死で夜通し駆けずり回って、ひと仕事したような、あたかも一端の事 業家みたいな顔をしておられる。
手形が落ちる日は前からわかっているし、その何日も前にお金の準備をしなければならないことはわかっているの に、何でギリギリになってから走りまわるのか。またそういう人に限って、必ず言い訳みたいな言葉がいっぱい付いてまわります。本当におかしな事です。金策 だけでなく、納期の問題でも同じ事です。
例えば相撲を見ている時、ズルズルッと土俵際まで後退してしまって、仕方がないからうっちゃり を打つ。そうすると必ず行司が判定に迷って軍配を上げ、物言いが付いて、判定が崩れたりする。そういう場面を見て、皆さん、思いませんか?「土俵際に追い 込まれてからうっちゃるという大技がかけられるぐらいなら、真ん中で大技をかけなさい」と。
土俵の真ん中で相撲をとるということは、つまり「余 裕のあるときに」ということなのです。業績が悪くなってきて、本業以外に何かやらなければならなくなってきたけれど、そのときには資金力も相当減り、体力 も弱ってきています。そうなってから、何か手を打とうとするのではなくて、体力のあるときに手を出しなさい。順調にいっているときには安心して何もしない で、悪くなってから手を打とうとするからますます悪くなるのです。
いいとき、絶好調のときに、そういう技をかけようと思うならかける。これが土俵の真ん中で相撲をとるという意味なのです。
これはちょっと、「ええ格好をしすぎはせんか」と皆さんから怒られるかもしれませんが、私は小学校に入ったときは両親がビックリするぐらい成績がよくて、 ウチの子は大したもんだと喜んでいたらしいのです。しかし長ずるに及んで学校が面白くなり、友達が増えてきて逆にガキ大将になって、小学校を卒業する頃に は、今で言うとオール3という成績になっていました。昔は甲乙丙丁と言いましたが、甲はひとつもなくて全部乙。それでも鹿児島一中という一流の中学校に行 こうと思ったのです。先生から「甲が一個もないよう者が受かるわけがない」と言われても、「どうしても行きたい」と言い張って受験をして、案の定すべった わけです。もちろん内申書も悪くて、「非常に素行が悪い」と書いてありますから、受からないのは当たり前です。
その後、他の中学に入るのですが、それでもやっぱり遊びがいい。旧制中学1年、2年のときは、派手なケンカをよくやりました。そういうことばかりしていますから、もちろん勉強はしていません。
勉強をしようと思ったのは、新制高校に変わり、高校1年生になってからでした。一緒に勉強をしている仲間が、『蛍雪時代』という本を見ておりました。「何だろう?」と思い、その本を借りて読んでみたら、目から鱗が落ちたのです。
それまではケンカが強いとか、野球のピッチャーでうまい事が私を支えていたプライドだったのですが、学校の成績が悪いことは非常にみっともないことだと初めて気が付きました。
正直、勉強をし始めたのは高校2年生の半ばぐらいでした。「これはしまった」と思い、もう一度中学1年生の勉強から、物理、化学、数学、全部やり直して受 験に備えていったのですが、優秀な頭脳を持っているわけではありませんから、努力でカバーする以外にはなかったのです。
普通は、みんな大学までは勉強をして、大学に入ったら遊ぶと言いますけれども、私の場合には中学、高校で勉強していなかったこと、知的なものに飢えていたこと、また遊ぶお金がなかったせいもあって、ガリガリ亡者みたいに勉強をしていました。
大学で試験の時には試験の1~2週間前には全部何回も復習をして、どこから問題が出ても100点満点取れるぐらいに勉強していました。皆さんも記憶にある と思いますが、勉強というものは大体うまくいきません。それは友達からの誘いがあったりしてつい付き合ってしまい「予習せんならん、復習せんならん」と思 いながらもギリギリまで来てしまうわけです。
やりたい、やりたいと思いながらも勉強ができないまま、ついに試験場に行く。「ああ、3分の2くら いしか調べられんかったな。もっと調べてくればよかったけど、時間がなかった。あそこが出なきゃいいのにな」と思って試験を受けると、案の定、そこが出て いる。「シマッタ」という経験が、真面目でちょっと勉強したタイプの人には必ずあります。
私はそれが非常にイヤなのです。高校の時、恥ずかしい と思って勉強を始めだした頃にそういうことを何回も経験していますから、そのくらい悔しい思いをするなら、うんと前に終わるように計画をすれば、どんな問 題があっても試験までには全部調べ終わる。そこまでの余裕をみたスケジュールで勉強すべきだと思って、大学時代、試験勉強をする時は試験の10日ぐらい前 には全部調べ終わるというスケジュールを自分で作っていました。
そういうふうに、試験日が決まっているのであれば何が起っても、その間、空白の 時間になっても、それに備えられるぐらいの余裕を持つ。つまり、土俵の真ん中で相撲をとるということです。その様に学生時代に余裕を持って勉強してきたも のですから、手形が落ちる落ちないと言って飛びまわっている人を見ては、「ああ、この人では会社を潰すわ」と思ったものです。自分が手形の決済日を出して いるのですから、手形を切ったときからわかっているはずなのです。
「土俵の真ん中で相撲をとる」とは、常に土俵の真ん中を土 俵際だと思って、一歩も引けないという気持ちで仕事にあたるということです。納期というものを例にとると、お客さまの納期に合わせて製品を完成させると考 えるのではなく、納期の何日も前に完成日を設定し、これを土俵際と考えて渾身の力をふり絞ってその期日を守ろうとすることです。そうすれば、万一予期しな いトラブルが発生しても、まだ土俵際までには余裕があるため、十分な対応が可能となり、お客さまに迷惑をおかけすることはありません。
このように、私達は常に安全弁をおきながら、確実に仕事を進めていく必要があります。
**************************************************************
このことに気が付いたのは、私が事業を始めた頃でした。中小零細企業で仕事をしていく中で、売掛金の回収が遅れ、手形決済の期日が来て、金が詰まってきた とします。どうしても金策をつけなければならず、夜中に友人のところに飛んで行って金策をする。あるいは銀行に走ったり、いろんな所に走りまわっているわ けです。そういう人をよく見たものです。
そういう人は、ギリギリになってから一生懸命に走りまわって、そしてやっと手形が落ちたら、「よかっ た。うまくいきましたわ」と、何か大きなひと仕事をしたような感じになっておられます。しかし、手形が落ちて元々で、落ちなければ倒産する。ただ潰れるの が潰れなかっただけのことですから、いいことをしたのでも何でもないのです。なのに、必死で夜通し駆けずり回って、ひと仕事したような、あたかも一端の事 業家みたいな顔をしておられる。
手形が落ちる日は前からわかっているし、その何日も前にお金の準備をしなければならないことはわかっているの に、何でギリギリになってから走りまわるのか。またそういう人に限って、必ず言い訳みたいな言葉がいっぱい付いてまわります。本当におかしな事です。金策 だけでなく、納期の問題でも同じ事です。
例えば相撲を見ている時、ズルズルッと土俵際まで後退してしまって、仕方がないからうっちゃり を打つ。そうすると必ず行司が判定に迷って軍配を上げ、物言いが付いて、判定が崩れたりする。そういう場面を見て、皆さん、思いませんか?「土俵際に追い 込まれてからうっちゃるという大技がかけられるぐらいなら、真ん中で大技をかけなさい」と。
土俵の真ん中で相撲をとるということは、つまり「余 裕のあるときに」ということなのです。業績が悪くなってきて、本業以外に何かやらなければならなくなってきたけれど、そのときには資金力も相当減り、体力 も弱ってきています。そうなってから、何か手を打とうとするのではなくて、体力のあるときに手を出しなさい。順調にいっているときには安心して何もしない で、悪くなってから手を打とうとするからますます悪くなるのです。
いいとき、絶好調のときに、そういう技をかけようと思うならかける。これが土俵の真ん中で相撲をとるという意味なのです。
これはちょっと、「ええ格好をしすぎはせんか」と皆さんから怒られるかもしれませんが、私は小学校に入ったときは両親がビックリするぐらい成績がよくて、 ウチの子は大したもんだと喜んでいたらしいのです。しかし長ずるに及んで学校が面白くなり、友達が増えてきて逆にガキ大将になって、小学校を卒業する頃に は、今で言うとオール3という成績になっていました。昔は甲乙丙丁と言いましたが、甲はひとつもなくて全部乙。それでも鹿児島一中という一流の中学校に行 こうと思ったのです。先生から「甲が一個もないよう者が受かるわけがない」と言われても、「どうしても行きたい」と言い張って受験をして、案の定すべった わけです。もちろん内申書も悪くて、「非常に素行が悪い」と書いてありますから、受からないのは当たり前です。
その後、他の中学に入るのですが、それでもやっぱり遊びがいい。旧制中学1年、2年のときは、派手なケンカをよくやりました。そういうことばかりしていますから、もちろん勉強はしていません。
勉強をしようと思ったのは、新制高校に変わり、高校1年生になってからでした。一緒に勉強をしている仲間が、『蛍雪時代』という本を見ておりました。「何だろう?」と思い、その本を借りて読んでみたら、目から鱗が落ちたのです。
それまではケンカが強いとか、野球のピッチャーでうまい事が私を支えていたプライドだったのですが、学校の成績が悪いことは非常にみっともないことだと初めて気が付きました。
正直、勉強をし始めたのは高校2年生の半ばぐらいでした。「これはしまった」と思い、もう一度中学1年生の勉強から、物理、化学、数学、全部やり直して受 験に備えていったのですが、優秀な頭脳を持っているわけではありませんから、努力でカバーする以外にはなかったのです。
普通は、みんな大学までは勉強をして、大学に入ったら遊ぶと言いますけれども、私の場合には中学、高校で勉強していなかったこと、知的なものに飢えていたこと、また遊ぶお金がなかったせいもあって、ガリガリ亡者みたいに勉強をしていました。
大学で試験の時には試験の1~2週間前には全部何回も復習をして、どこから問題が出ても100点満点取れるぐらいに勉強していました。皆さんも記憶にある と思いますが、勉強というものは大体うまくいきません。それは友達からの誘いがあったりしてつい付き合ってしまい「予習せんならん、復習せんならん」と思 いながらもギリギリまで来てしまうわけです。
やりたい、やりたいと思いながらも勉強ができないまま、ついに試験場に行く。「ああ、3分の2くら いしか調べられんかったな。もっと調べてくればよかったけど、時間がなかった。あそこが出なきゃいいのにな」と思って試験を受けると、案の定、そこが出て いる。「シマッタ」という経験が、真面目でちょっと勉強したタイプの人には必ずあります。
私はそれが非常にイヤなのです。高校の時、恥ずかしい と思って勉強を始めだした頃にそういうことを何回も経験していますから、そのくらい悔しい思いをするなら、うんと前に終わるように計画をすれば、どんな問 題があっても試験までには全部調べ終わる。そこまでの余裕をみたスケジュールで勉強すべきだと思って、大学時代、試験勉強をする時は試験の10日ぐらい前 には全部調べ終わるというスケジュールを自分で作っていました。
そういうふうに、試験日が決まっているのであれば何が起っても、その間、空白の 時間になっても、それに備えられるぐらいの余裕を持つ。つまり、土俵の真ん中で相撲をとるということです。その様に学生時代に余裕を持って勉強してきたも のですから、手形が落ちる落ちないと言って飛びまわっている人を見ては、「ああ、この人では会社を潰すわ」と思ったものです。自分が手形の決済日を出して いるのですから、手形を切ったときからわかっているはずなのです。

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