「バランスのとれた人間性を備える」

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  稲盛塾長の講話より

 バランスのとれた人間とは、何事に対しても常に 「なぜ」という疑問を持ち、これを論理的に徹底して追求し、解明していく合理的な姿勢と、誰からも親しまれる円満な人間性をあわせもった人のことをいいま す。いくら分析力に優れ合理的な行動を貫くスマートさを備えていても、それだけではまわりの人々の協力を得ることはできないでしょうし、逆にみんなからい い人だと言われるだけでは、仕事を確実に進めていくことはできません。
 私達がすばらしい仕事をしていくためには、科学者としての合理性とともに「この人のためなら」と思わせるような人徳を兼ね備えていなければなりません。
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 ここでは、科学的な合理性と豊かな人間性を持ち、そのどちらにも偏らないバランスが必要であるという意味で、「バランスのとれた人間性を備える」と言っています。
  先ほども言いましたように、私自身、化学が専門で、セラミックの研究開発からスタートしたものですから、どうしても科学的、合理的に物事を判断する、考え 方や物事の進め方が身に付いています。ところが、学生時代ガリ勉だった私に、友人が遊びというものを通じて人間のあるべき姿の一端を垣間見せてくれ、教え てくれました。つまり、あくまでも科学的、合理的な考え方をしなければいけませんけれども、一方では非常に人間味のある、豊かな人間性を持っていなければ ならない。その両方を併せ持つことが経営者として必要だと、ここで言いたかったのです。

 昔、営業の連中が営業から帰って来て報告をするなかで「いや、これは難しいんですわ。訳がわからんのです」と感情的な説明をする者がいると、私はこっぴどく怒ったものです。
  私は皆さんに精神訓話をしますが、会社の経営、または研究、営業、会社の事業のなかで「不可思議なことだ」ということは一切口に出させないのです。我々が やっている研究、技術開発、営業、財務、総務の問題は全部合理的に、すべて理屈で証明できるはずです。また証明できるようでなければ話になりません。そこ へ不可思議な話みたいなものを持ち込んでくるのは、とんでもない事です。ですから、昔はよく会議のなかで「バカなことを言い出すな、全部科学的に割り切れ るはずだ」と怒ったものです。
 私の場合には、会社で仕事をし、研究する世界ではとことん合理主義なんです。絶対に不可思議なことは許しません。 しかし、会社を離れると、まったく訳のわからない仏教の世界でも信じられます。ところがみんな、それをごっちゃにするのです。仏教の世界に没頭するよう な、形而上学的、宗教的なものに入っていくと、今度はその話を経営の場で披瀝する経営者、またはその様なコンサルタントなどもいます。
 訳のわか らないことを経営の場に持ち込んだり、研究の場に持ち込んだりすることは一切してはなりません。我々が仕事をしているビジネスの世界、研究の世界、技術の 世界は、全部科学的に証明できるはずです。一貫していなければなりません。しかし、仕事を離れたときの人間としては、不可思議なことがいくらあってもおか しくないのです。
 仕事の現場では徹底した合理主義者で、かつ素晴らしいロマンチストであり、素晴らしい形而上学的なことも考えられる人、その両面のバランスがとれた人間性を持っていなければ、一流の経営者にはなれません。

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このページは、前田が2008年7月 7日 08:23に書いたブログ記事です。

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