2008年8月アーカイブ

稲盛塾長の講話です。

私たちがつくる製品は、「手の切れるような製品」でなくてはなりません。それは、たとえばまっさらなお札のように、見るからに鋭い切れ味や手ざわりを感じさせる素晴しい製品のことです。
製品にはつくった人の心があらわれます。ラフな人がつくったものはラフなものに、繊細な人がつくったものは繊細なものになります。たくさんの製品をつくって、そのなかから良品を選ぶというような発想では、決してお客さまに喜んでいただけるような製品はできません。
完璧な作業工程のもとに、ひとつの不良も出さないように全員が神経を集中して作業にあたり、一つひとつが完璧である製品づくりを目指さなければなりません。

経験則を重視する

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稲盛塾長の講話です。

企業での技術開発やモノづくりには経験則が不可欠です。理論だけではものはできません。
た とえばセラミックの場合、原料である粉体を混ぜて成型し、高温で焼けばでき上がるということは、勉強さえすれば誰でも理解できます。ところが、粉体を混ぜ るということがどういうことなのかは、実際に自分で手を染めて苦労してやってみないと決してわかりません。液体や気体なら完全な混合ができますが、粉体は どこまで混ぜたら混ざったといえるのか、これは経験則でしかわからない世界です。
この経験則と理論がかみ合ってはじめて、素晴しい技術開発やモノづくりができるのです。

このことは「現場主義に徹する」という項目で言いましたけれども、理論だけではなしに、自分で手を染めてやってみなければ、本当に「モノが作れる」とは言えないということです。
稲盛塾長の講話です。

思い出しますと、アメリカのサンディエゴで初めての海外工場が始まりま した。創業10年も経っていない頃です。フェアチャイルド社が持っていた工場を買い取って製造を始めたんですが、なかなかうまくいきませんでした。日本か ら3人、4人の技術屋を送り出して、アメリカの現場で頑張ってもらうんですけれども、言葉のハンディ、生活習慣の違い、いろいろな要素も絡まり合って、な かなかうまくいきません。ですから私もサンディエゴの現地に飛び、よく現場に出ていきました。ところがその度に、アメリカ人の工場長が私に注意をするわけ です。

なんで現場に出ていくんですか。あなたは現場に出ては作業者の横に座り込み、チョコチョコと一緒に仕事をしている。そんなことをされては困ります。
日 本の親会社の経営者、それもオーナー経営者が来て、作業服みたいなものを着て現場に出ていき、一介の作業者の仕事を手伝っているという。もっと他にしなけ ればならない仕事があるはずなのに、もっと高度なことを考えなければならないのに、1時間3ドル、5ドルしかもらっていない作業者と同じ仕事をやってい る。そのくらいの能力しかないから作業者の仕事を手伝っているのか、遊んでいるのか、どっちなんだいと、みんなが思っています。
言葉もあまり堪能 でないあなたが現場に出ていき、そんなことをしたのでは、作業者は軽蔑してしまうし、仕事にも問題が出てきます。もしあなたが現場のことを知りたいなら、 あなたの部屋に我々を呼んでくれればいいんです。現場の者を連れていって説明もしますから、自分の部屋から出ないでください。でなければ、なんだい、日本 の本社の一番偉い人は、あんな程度なのかい、と言われるのがオチです。

私は憤然としましたね。

ナニを言うとる! 私は現場を重視し、現場でやってきた人間だ。おまえが何と言おうと、オレは現場に出ていく!

工 場長と喧嘩をしては現場に出ていったものですが、現場に出てみると、チンタラ、チンタラやっておるおっさんがおるわけです。そいつを捕まえて怒ったら、そ のおっさんとも喧嘩になってえらい目に遭ったことがありますけれども、そのおっさんはものすごくええ加減な奴なんですよ。戦争中、マリーンに所属してい て、硫黄島作戦で日本軍と戦ったという猛者だったものですから、日本人にこき使われているのがたまらんわけです。挙げ句の果ては日本人のボスが出てきて、 「おまえはアホか」と怒られる。なお頭にきて、私に「このジャップ野郎!」と言う。またそれを工場長が見ていて、「言わんこっちゃないでしょ。そんなこと をするからバカにされるんですよ」と言う。
それでも私は現場主義を変えませんでした。そのために、アメリカのマネージャーは現場を知らない男で、 単に現場から上がってきたデータをそのままホストコンピュータに入れていただけだということがわかりました。しかも彼は、「キーを叩けばデータが全部モニ ターに出てくるんだから、現場に行かなくてもいい」と言うもんですから、「おまえ、現場に行ってみい! ここに入っているデータそのものがデタラメだとい うことがわかるわい!」と喧嘩をしたことがあります。
皆さんは信じられないかもしれませんが、今から30年近く前、アメリカでは計算のできない女 性作業者が半分近くいました。日本の場合には教育程度がみんな揃っていますから、自分がやった仕事の数量を勘定して、伝票に数字を記入して次にまわすこと ができますが、それができない。掛け算をして数量を管理することができないんです。そのために、忙しく走りまわっているスーパーバイザーという職長さん が、時間毎に入ってくる数量をインプットすることができない。または数字を間違えてしまう。そういう数字をまとめたものを「現在の数字です」としているわ けです。
データのインプットが間違っていれば、データは全部狂ってしまいます。なのに、そのデータでやれるんだと思っているし、素晴しいシステム を作っていると言っておるという。モノを作るというだけではなくて、管理にしても現場を知らなきゃいかんわけです。現場主義はたいへん大事だということ を、そのアメリカ工場で痛感したことを思い出します。
やはり現場を見なければなりません。これは製造業であれ、流通業であれ、現場はたいへん大事だと思います。
  先般、有名な弁護士の中坊さんにお目にかかったとき、「あなたが弁護士として素晴しい能力を発揮しておられるのはなぜですか」と訊きましたら、「現場主 義」と答えられました。弁護士稼業は頭だけなのかと思っていたんですが、中坊さんの「すべて現場から教わるんです。現場には必ず解決のカギがあります。犯 罪でも何でもすべて現場です」という話を聞いて、職業が違えども同じなんだなと、改めて思わされました。皆さんのお仕事でも、ぜひ現場を重要視して仕事を していただきたいと思います。
稲盛塾長の講話です。

どうして私がこういうことを言い出したのかといいますと、これ は皆さんの企業経営のなかでもそうだと思います。たとえば、大学卒業の優秀な人材がほしいというので、皆さんのところでもそういう人材を採用しておられる と思いますが、ところがそういう人材は大学でいろいろな勉強をしてきています。耳学問であったり、目学問であったり、教科書やら参考書、いろいろなもので 勉強してきた知識を持っているわけです。ただし、それは自分でやったのではなくて、知識でもって「できる」と思っているわけです。
ところが、人間とは不思議なもので、知識で「できる」と思ったものが、現実にも「作ることができる」と錯覚しているケースがたくさんあるんです。大学で優秀であればあるほど、本人が手を染めて作ったことは一回もないのに、「できる」と思っているケースがあります。
中 小企業の場合には、優秀な若い学卒がほしいと思っているし、実際そういう人を採用します。また、中途入社で優秀な技術屋さんが入ってくれるとたいへん嬉し い。そして、その人の意見に従っていろいろとやっていくわけです。その人も机の上で、自分が今まで勉強をしてきたことを一生懸命にやってくれます。ところ が、いざ事業を始めてみると、なかなかうまくいかないというケースに遭遇するわけです。それは、理屈では「できる」はずだったのに、実際には違っていたか らなんです。つまり、現場を知らないために、できるはずだったものが作れなかったわけです。
京セラフィロソフィのなかでは、ですから経験が重要だ ということも言っていますが、この「現場主義に徹する」という項目は、私自身、会社に入って研究している段階で強く感じたことでもあります。勉強したこ と、そして現場で自分が経験したこと、この二つを併せて初めて「できる」「やれる」「作れる」ということになっていくんです。ですから、現場に出て、現場 の作業者と一緒に作業をし、実際に自分で経験することがたいへん大事であるということを、「現場主義に徹する」という言葉を使って社員に要求してきたので す。

現場主義に徹する

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稲盛塾長の講話です。

「現場主義に徹する」という項目には、次のように書いてございます。

モノづくりの原点は製造現場にあります。営業の原点はお客さまとの接点にあります。
何か問題が発生したとき、まず何よりもその現場に立ち戻ることが必要です。現場を離れて、机上でいくら理論や理屈をこねまわしてみても、決して問題解決にはなりません。
よ く「現場は宝の山である」と言われますが、現場には問題を解くためのカギとなる生の情報が隠されています。絶えず現場に足を運ぶことによって、問題解決の 糸口はもとより、生産性や品質の向上、新規受注などにつながる思わぬヒントを見つけ出すことができるのです。これは、製造や営業にかぎらず、すべての部門 にあてはまることです。
稲盛塾長の講話です。

このことは一見、経済原理に反する ように見えます。たしかに近代資本主義では、大量にモノを作って大量に販売していく関係もあって、まとめて買えば良いものが安く買えることは常識になって います。そのために、量をまとめて安く買うことがものを買うコツだと言われていますが、その経済合理性に反するようなことを、私は今でも社内でやらせてい ます。つまり、必要なときに必要な量だけを購入する、たとえ若干高くても、必要な量しか買わないということを厳格に守らせています。
 たしかに若 干高い買い物かもしれませんが、在庫を持って運営すれば、そのための倉庫が要りますし、在庫金利もかかります。また、決算毎に棚卸しをしなければなりませ んし、使わなくなったものがあれば廃棄処分をしなければなりません。つまり、安く買ったように見えるけれども、そういう目に見えないロスがいっぱい出てく るわけです。
 京セラでは、これを「当座買い」と言っていますが、メリットはそれだけではありません。非合理的な話のように思うかもしれません が、必要なものを必要な分だけ買うものですから、その使い方には細心の注意が払われ、無駄遣いをしないということにつながっていくわけです。在庫がたくさ んあれば、ちょっとくらい失敗しても在庫から引っぱり出して作ることができますが、在庫がない、要る分だけしか買っていないとすれば、失敗が許されなくな りますし、ものの使い方も丁寧になっていくという心理的なメリットにもつながっていきます。
 まとめて買えば安くなるんだから、まとめて買ったほ うが得ですという単純な経済法則だけではなくて、当座買いをすれば高く買ったように見えるけれども、在庫金利は発生しないし、倉庫を作る必要もありませ ん。また、在庫品が不良廃棄処分になることもなければ、材料が少ないために、かえって丁寧に使おうということにもなっていきます。つまり、若干高くついた としても、それを補ってあまりあるメリットがいろいろとあるわけです。
稲盛塾長の講話です。

「必要なときに必要なだけ購入する」という項目には、次のように書いてございます。

物品や原材料を購入する場合、大量に買えば単価が下がるからといって、安易に必要以上のものを買うべきではありません。
余 分に買うことは無駄遣いのもとになります。たとえ一時的に大量に安く購入できたとしても、これによって在庫を保管するための倉庫が必要となったり、在庫金 利が発生したりといった余分な経費がかかってきますし、さらには製品の仕様変更などの理由で、まったく使わなくなってしまう危険性もあります。
やはり、メーカーはメーカーに徹し、モノづくりそのもので利益をあげることに専念すべきです。必要なときに必要なだけ購入するという考え方が大切です。
稲盛塾長の講話です。

立派な経営を持続して続けていくとすれば、立派な考え方を持続して持っていなければならんのです。5年、10年、一時的な成功で繁栄するのは簡単なことかもしれませんが、中小企業を経営し、長い間従業員を守り、長い間事業を続けていくのはたいへん難しいことだと思います。
我 々は10年はおろか、20年も30年も40年も繁栄し続けなければなりません。そしてその努力をずうっと続けなければなりません。その間に慢心してもいけ ませんし、傲慢になってもいけない。中小零細の頃には倹約を旨とし、質素に懸命に頑張ってきた。その後、いくらお金持ちになろうとも、いくら会社が立派に なろうとも、それを持続しなきゃならん。よほど克己心が強くなければ、持続できるわけがないんです。
倹約を旨とするということは、中小零細のときにだけ必要なものではなくて、どんなに立派でよい企業になっても、変わらずにこれを旨としていかなければならないのです。皆さんもぜひ、倹約を旨とし続けてください。
稲盛塾長の講話です。

人間の考え方というものは、どんどん変化をしていき ます。京セラフィロソフィのなかで、過去に人生の結果という方程式の話をしましたね。京セラフィロソフィの根幹になる、もっとも基軸となるものです。あの なかで私は、その人が持つ考え方、哲学が一番大事だと強調していますが、その「考え方」というものは、実は変化をしていくんです。Aという人はこういう考 え方だと、決まったものではないんです。人生の結果は「能力×熱意×考え方」という方程式になると言っていますが、ある時期にはその人は素晴しい考え方を しておった。そのために事業もうまくいき、人生も順調に行ったけれども、それがうまくいくに従って、その人の考え方が変わっていく。そのために、せっかく 成功させた事業を失敗させ、潰してしまうという。そういうこともあり得るのです。つまり、経営者が持つ考え方が変化していき、それに連れて経営状態も変 わっていくわけです。
たとえば、私が京セラという会社を始めた40年前はお金もなかったし何もありませんでしたから、「倹約を旨とする」という フィロソフィを作り、それを従業員に言っていたのは当然かもしれませんが、では現在はどうなのか。連結決算で7000億、8000億円という規模になり、 700億、800億円という利益が出ることになった今でも、「倹約を旨とすべし」と言っているのかどうか。そしてそれがまだ実行されているのかという。
私 は社員の人たちに、よく「現在は過去に我々が考え、行なってきたことの結果であり、未来は今からの我々の考え方、努力で決まる」と言ってきました。現在の 結果は、過去にしたことがもたらしたものであって、今から私どもがやっていくことが未来を決めていくということなのです。そういう意味でも、「倹約を旨と する」ということは非常に地味で、みみっちい感じがしますけれども、これは中小零細で苦しかったときにだけ旨としていたのではなくて、何千億円という世界 的企業になっても変わってはいけない。またその考え方も、環境によって変わっていくものではない。そういうふうに思います。

倹約を旨とする

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稲盛塾長の講話です。

 「倹約を旨とする」ということについて、私はフィロソフィ手帳のなかでこのように言っております。

私たちは余裕ができると、ついつい「これくらいはいいだろう」とか、「何もここまでケチケチしなくても」というように、経費に対する感覚が甘くなりがちです。そうなると、各部署で無駄な経費がふくらみ、会社全体では大きく利益を損なうことになります。
そして、ひとたびこのような甘い感覚が身についてしまうと、状況が厳しくなったときに、あらためて経費を締めなおそうとしても、なかなか元に戻すことはできません。ですから、私たちはどのような状態であれ、常に倹約を心がけなければなりません。
出ていく経費を最小限に抑えることは、私たちにできる最も身近な経営参加であるといえます。

 出ていく経費を最小限に抑えることは、従業員の人たちにできる最も身近な経営参加なのです。つまり、経費を最小限に抑える仕事をしてもらうことが、まず最初にできる経営参加なのですと、ここでは言っているわけです。
 私自身古い人間ですから、こういうことを自分でも考え、社員にも言ってきたと思うんですけれども、これは特に大事なことだと思います。
稲盛塾長の講話です。

私自身、よく製造現場に足を 運んだものです。そうすると、原料が片隅にこぼれている。1キロいくらの原料がバラバラッとこぼれている。もう身が切られる思いがするわけです。すぐにみ んなを呼び集めて、「なんで原料がこぼれているんだ!」と怒ったりしたものですが、現場では忙しく一生懸命に働いているものですから、たとえば組立工場で はビスやらナットが、手から滑り落ちてこぼれてしまいます。そういうビスやらナットが何個か落ちているんですが、ベルトコンベアの流れ作業ですから、それ を拾っていたのでは間に合わない。ですから、こぼしたままでどんどん組んでいかなければならない。しかも、落ちたビスやらナットを作業者が踏んづけてしま うものですから、拾っても使えなくなってしまう。そういうものがゴロゴロ、ゴロゴロ落ちている職場を見ると、こんなことで採算が合うわけがないと思ってし まうわけです。
私は製造現場でビスが落ちているのを見るたびに、「ここにビスが3個落ちておるけれども、これは1個いくらなんですか?」と訊くん です。大抵は「へえ?」という答えしか返ってきません。女性の作業者は誰も知らないわけです。ですから、「これはいくらなんですよ」と教えてあげなければ ならない。つまり採算意識とは、まず自分が組んでいるビス1本、ナット1本は何銭するのか、何円するのかを知ってもらうことから始まるわけです。そういう ものを全部教えて、みんなに採算意識、コスト意識を持ってもらうようにしていく。このことを痛切に感じたものですから、私はこの「採算意識を高める」とい うことを一生懸命にやってきたわけです。
経営者はもちろんのことです。採算意識というよりは、原価意識を高めると言い換えたほうがいいと思います。原価意識を持って経営をするのはもちろんですが、従業員一人ひとりにまで、原価意識を高めるように教育することがたいへん大事です。
稲盛塾長の講話です。

仕事をしていきますなかで、コスト、原価はどうなっているのかということを考えていない人は、経営がうまくいっていないと思います。
私 はいつも思うのですが、たとえばホテルのレストランで食事をしているとします。レストランは閑散としていて、たくさんのウエイトレス、ウエイターさんが手 持ちぶさたに、あちらの隅、こちらの隅に立っておられる。見渡せば、お客さんは1000円か1500円ぐらいのライスカレーみたいなものを食べておられ る。そういうときはいつも、立っているウエイターさん、ウエイトレスさんの人件費等を考えて、パッパッと頭のなかで計算して、ああ、これじゃ採算は合わな いなと思ってしまうのです。つまり、自分のやっている仕事はもとより、いろいろ遭遇する所々で、それを瞬間に原価意識をもって見ることができるのか、漠然 と見てしまうのか。それによってたいへんな違いがあります。経営者である人は、それを漠然と見ておったのではいかんのです。自分の仕事だけではなしに、何 にでも原価を考えなければならないわけです。
最近は大卒の初任給でも20万円はします。おそらく中小企業の場合でも、残業代を含めて平均30万円 ぐらいかかっているだろうと思います。ボーナスまで入れれば40万円は下らんだろうと思います。そうすれば年間480万円、年俸は約500万円となりま す。そして、ひと月に20日間ぐらいしか働きませんから、1日当たりは2万円となり、それを8時間で割れば1時間2500円になります。それをさらに10 で割れば、6分250円になります。つまり、タクシーのメーターみたいに、6分経てば250円ずつ上がっていくわけですな。
そういう目で見れば、ウロウロしている奴が目障りになってしようがない。250円があの辺をウロウロ、この辺をウロウロ、何にもしないで手ぶらでウロウロしている。もうたまらんような感じがします。
た だボーッとしていても、1日2万円かかってしまうわけです。ですから、「あなたは午前中、ボーッとしていたでしょう、だからあなたは1万円をムダにしたの ですよ」ということになるんですが、それを経営者が言えば非常にきつく感じます。ですが、従業員の人たちがみんな、自分で「今日はマズかったなあ。考えて みれば、今日は午前中、ボーッとしておった。会社に1万円損をかけてしまった」と思ってくれるような意識になってくれれば、会社は非常にうまくいきます。
利益をいくら出せということではないんです。自分がここに座っている、喋っている時間は、どのくらいの価値を作らなければならないのか、どれだけのコストがかかっているのかということを意識するために、全従業員に採算意識を持ってもらいたいわけです。
中 小企業の経営をやっていますと、経営者だけがそういうマインド、意識を持っているものですから、従業員のやることが見ておられないといいますか、イライラ して当たり散らして怒り散らす。ますます逆作用となって、ちっともいい方向にいかないんですが、従業員も同じような立場で、同じような意識を持ってくれれ ば、「そんなことをしていたのでは採算が合わんじゃないか」と言っただけで、「あっ、そうですな」とわかってくれます。常に原価意識を持ってくれれば、何 も当たり散らさなくてもいいわけです。
また、その採算意識を従業員に持ってもらうように、つまり原価意識を持ってもらうように、常に従業員に話をしてあげる。原価に対して非常に敏感な、鋭敏な従業員が何人いるかということが、会社の経営内容をよくしていくもとだろうと思います。

採算意識を高める

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稲盛塾長の講話です。

京セラフィロソフィ手帳には、「採算意識を高める」として次のように書いてございます。

京 セラでは、アメーバ単位で「時間当り採算制度」を実施し、職場での仕事の結果が誰にでもはっきりわかるようになっています。社員一人ひとりが経営者の意識 をもって、どうすれば自分たちのアメーバの「時間当り」を高めていけるかを真剣に考え、実践していかなければなりません。
常日頃、鉛筆一本やクリップひとつにいたるまで、モノを大切にしようと言っているのは、こうした思いのあらわれです。
床にこぼれ落ちている原料や、職場の片隅に積み上げられている不良品が、まさにお金そのものに見えてくるところまで、私たちの採算意識を高めていかなければなりません。

日々仕事を進めているなかで、採算意識を高めていこうということを、幹部社員はもちろん、私は社員全員に強く訴えてきました。
こ の「採算意識」という言葉は、利益意識という意味ではなく、原価意識という意味です。つまり、仕事をする以上すべてのことに原価意識をもって仕事をしなさ いという意味で、採算意識と言っているわけです。採算、または採算を合わせると言えば、利益を得るということにつながっていくように思いますが、利益を求 めてすべてのことを考えていくのではありません。「原価を考える」ということです。
商品の価値で売る
 京セラでは、30年も40年も前から原価+利益=売値という原価主義はとらないと言い始めました。そのとき、社員にはこう言いました。

 京セラは、原価+利潤(利益)というような原価主義で販売価格は決めません。京セラは販売する品物の価値で売ります。
 原価がいくらであろうと、そのモノに価値がなければ、その値段で売れるはずがありません。
  たとえば、ウチが作る絶縁材料で、お客さんがある真空管をお作りになる。お客さんは、ウチの絶縁材料を使って良い真空管をお作りになり、それが1本200 円で売れていた。お客さんはウチの絶縁材料を20円という値段で買っているんだけれども、200円で売れるんだから非常に儲ると喜んでおられる。それはつ まり、ウチの絶縁材料があることによって、真空管の価値が高まっていることになる。
 その真空管を作っている大きな部品としての絶縁材料、セラ ミックはいくらの価値で買ってくれますかと訊いたとき、お客さんが「20円だったら喜んで買いますよ」と言ってくれるのであれば、20円で売ろうじゃない か。実際には原価が5円であろうと2円であろうと、20円で売ろうじゃないか。
 「いや、社長。5円のものを20円で売るなんて暴利じゃありませんか」と言うかもしれないが、そうではないんだ。お客さんが20円の価値があると言っておられるであって、それでいいんだよ。
  たとえばお菓子屋さんであっても、自分で考えて新製品を開発した、新しい和菓子を作った。その値決めはどうすればいいのかというと、その値段は価値で売れ ばいいんだ。この和菓子は味もいいし、形もいいし、素晴らしい。200円でもいいわと言って買ってくれるものであれば、たとえその原価が40円であろう と、200円でいい。原価+利益という考え方をして、原価が40円で利益を10円取るから50円で売ろうなんてことはする必要はない。
 ただし、普通の破れ饅頭みたいなものを作って、他で50円で売っているものを200円で売っても、これは売れるわけがない。同業者が同じようなものを作っているのなら、50円なら50円で売らなければならないんだ。
 つまり、新しい創意工夫をして自分でやったもの、新製品の場合には、値決めは価値で売りましょう。お客がいくら払ってくれるかという価値で売りましょうということです。

 つまり、お客さんがその価値を認めてくれるのであれば、その価値で売るわけです。お客さんが価値を認めてくれるということは、お客さんもそれを使うことによって儲っておられるわけですから、決して暴利でも何でもありません。

  もちろん新製品の場合でも、たとえばその原価に200円かかったのだから、40円の利益を乗せて240円で売ろうと思っても、お客さんから「240円なん かでは到底使えません。それは50円だ」と言われれば、50円しか価値がないわけです。50円しか価値のないものを200円もかけて作った、それは我々技 術屋の失敗です。原価がいくらですといくら言ってみたって、それは世間に通用するものではありません。

 値決めとは、原価主義で決まって くるのではありません。マーケットが認めてくれる値段、それが先行するのです。その売値で利益をどう出すかというのが経営なんです。値決めを軽視して、非 常に安い値決めをしてしまったために、夜も寝ずに苦労しても利益が出ないというのではたいへんな失敗です。また、高い値段に決めれば、いくら一生懸命売ろ うと思っても売れない、あまり数が売れない値段を決めてしまっても失敗です。

 流通業の値決めは粗利を考えて
 流通業の場合、モ ノを仕入れて売るには、同業他社よりも少しでも安くなければ売れないのですから、同じ品物であれば同業者よりも少しでも安く売ろうと競争がはじまります。 しかしながら、安くすれば売れるわけですから10%安くして売ったけれども、いったい粗利はいくら残っているのかということです。

 ご承 知だと思うんですが、スーパー等の流通業をする場合には、どのくらいの粗利が要るのかということを知らない人が多いんですね。たとえば、100円で仕入れ てきたものがあるとします。他ではそれを130円で売っている。では、オレは120円で売ろう、10円安くしたら売れるだろう、いや、115円なら売れる だろうというので値決めをされる人がよくおられます。しかし、たしかにその値段で売れるんだけれども、経営がなかなかうまくいかない、火の車になるという ことです。
 これは、どのくらいの粗利がなければ会社がまわらないのかという常識がないケースです。同業他社を見て、そこよりも安く売れば売れるだろう、値決めが少し安ければいいというだけの感覚で売っているわけです。

  普通一般的に、小売りの流通業では粗利が30%なければならないといわれていますね。ですから、非常に安い値段で売っているお店でも、売値の3割引ぐらい の値段で仕入れていると思います。つまり、もし7、8%ぐらいの利益、または10%弱の税引き前利益をあげようと思えば、宣伝広告費、販売管理費、本社経 費、金利、人件費等々、全部計上すれば20%ぐらいの経費がかかるということを、みんな知っているわけです。
 ところが素人で、仕入れて売るだけ で2割も粗利があれば結構なことですからと、2割しかないマージンのところへさらに値引きをして、5%の値引きをして、15%の粗利しかない商売をされる と、こんなに頑張っているのにうまくいかない、儲からないとなります。それは値決めが失敗しているんです。それは、そのくらいマージンが要るということで す。

 製造業こそ高収益を(商業資本が産業資本よりも強い理由)
 右から左へ仕入れて売るだけでも、粗利が30%なければ採算は合わないんです。 しかし、製造業なのに利益がわずか5%、3%しか出ていないという製造業の方がたくさんいるわけです。私は京セラの製造の連中によく言ったものです。

  あのね、仕入れて右から左へ売るだけの人たちが3割ほどの粗利を乗せて売っておられる。我々は頭を使って、機械を使って設計をし、技術屋を何人も抱えて、 無から有を作り上げている。なのに、その利益が3%というのは、おまえ、おかしいと思わないか。我々はそんなに価値のないことをしているのかよ。右から左 へ流すだけで粗利が3割あるというのなら、何にもないところからモノを作り上げていかなければならない製造業であれば、粗利は5割ぐらいあってもおかしく ないではないか。流通で3割もあるというんだから、製造だったら5割ぐらいあってもおかしくないんと違うか。

 ところが、製造業で粗利が5割もある会社なんて、どこにもないんです。

 考えてみますと、資本主義の発達は、まず最初に商業資本が興ってくるんですね。そしてその商業資本は、右から左へ流すだけで暴利をむさぼってきているんです。
  人類は最初、野山を駆けめぐって狩猟採集をしておりました。それがだんだん知恵がついてきて、定住するようになり、一個所に住むようになると、そこでいろ んなものを栽培しだします。畑を作り、その収穫でもって家族を養っていこうというふうに、狩猟採集をから農耕に変わっていくわけです。
 農耕によ り、貯えが始まれば、知恵のある奴が出てきて、苦労する農業はしないで、余っているアワを安く仕入れて、アワが足りないところに担いでいって高く売ろうと 考えつく奴が出てきたわけです。つまり、地理的な移動をすることによってモノに価値ができる、豊富なところから少ないところに持っていけば高く売れる。そ れが商業資本の始まりなんです。

 アワを仕入れて売りますから、商業資本の人はなるべく安く叩いて仕入れて、なるべく高く売ろうとしま す。つまり、農業をやっている人は買い叩かれるわけです。ですからこんにちまで商業資本が強くて、産業資本は弱いんです。本当なら製造メーカーのほうが技 術も使い、何もかも使うんですから、うんと利益率が高くなければならんのに、弱いものだから、実際には流通のほうが利益率が高くて、製造は少ないというふ うになってきたんですね。

 私は皆さんに、「税引き前利益10%出ないような仕事をするなら、もう辞めなさい」と言って、いつもハッパをかけているのには理由があるんです。京セラの製造の連中には、こういうふうに言っておりました。

 銀行金利でも、普通のときなら6%、7%、8%する。お金というのは人に貸せば、何にもせんでも6%、7%もの金利を稼いでくる。我々は失敗すれば大きな損をするかもしれない事業をやって、2%か3%しか利益が出ていない。それではワリが合わないじゃありませんかよ。
  ただお金を泳がせて、鵜飼いの鵜匠みたいにお金を動かして、自分達は何も苦労しないで高いびきで寝ている。それでも、お金がまたお金を食わえて帰ってく る。それに較べて、我々はこれだけの苦労をしているのだから、もっと利益率が高くてもおかしくはないじゃありませんかよ。

 もうひとつの理由は、先ほどの流通資本の話です。「品物を仕入れて、右から左へ売っても粗利が30%もある。我々の製造業であれば、もっと利益率があってもおかしくないじゃありませんか」。そう言ってハッパをかけて、利益率を高めていくようにしていったわけです。

 コストダウンの考え方をガラリと変える(足し算からバリューアナライシスへ)
 私の場合には製造業で、受注生産でモノを作っておりました。ですから一般の流通業とは違い、お店を構えて売るわけじゃありません。また、受注生産ですから在庫の負担も要りませんでした。
  私は最初、当社みたいにメーカーで、お客さんにそのままストレートに納めていくようなビジネスの場合、どういう流通マージンであればいいのかと考えて、ウ チの営業は売値の10%の粗利をあげましょうと決めました。そして、売値から10%引いたもので製造はモノを作って利益をあげる。というルールを決めまし た。

 そのルールでずっとやってきたんですが、カメラや通信の携帯端末、宝石などの販売を始めるようになってから、10%のマージンでは 営業が成り立たないということがわかりました。自分で店を出して、店でモノを売るにしても、また店を置かずに、カメラ販売店で売ってもらうにしても、一般 の大衆商品を売る場合には10%のマージン、粗利では営業は成り立っていかないことが、そのときに初めてわかりました。

 たとえば、カメ ラの販売店の支援をする場合、テレビ広告、新聞広告を出しますが、それはメーカーである京セラがしなければなりません。そしてその宣伝広告代は、ウチの営 業の粗利のなかに含まれていなければならない。他にも、カメラの販売店に行って常に販促活動をしなければならないし、インセンティブのお金も出さなきゃな らない。そういういろんなことを考えてみると、コモデティな商品を売るメーカーの営業の場合、これはその営業が最終で売っているんではなく、営業が小売店 に出して、小売店が最終で売っていらっしゃる。その小売店のマージンが30%要った上に、メーカーの営業も25%から30%の粗利がなければ宣伝費が出せ ないんです。

 よろしいですか。それをまともに考えてみます。小売店さん、店頭で売られる方が30%ぐらいの粗利がなければ売らんと言わ れる。売値が100円だとすれば、小売店さんに納める値段は70円になります。営業はその70円から、営業の粗利30%を引いた約50円で製造からもらわ なければ採算は合いません。製造から50円でもらって、営業は20円の粗利を取って70円で小売店に納めるわけです。では、売値をなんぼにすればいいのか ということです。

 小売店の店頭で、このカメラはいくらという値段がついた場合、製造側はその率でもって下がってきた分で利益を出さなけ ればならないわけですが、今みたいに競争の激しい商品だった場合には、乱売に乱売となっていきます。そうすると、小売店からこの値段でなければならない、 売値はこうでなければならないと言われれば、製造では採算なんか全然合わない。ところが売ってもらおうと思いますから、最先端の小売店から、「どうしても 30%なければ売らん」と言われれば、それは飲まざるを得ないのです。そうすると、メーカーの営業は元々30%の粗利がなければならないと言っていたんだ けれど、それが減って減って10%になってしまう。宣伝広告を出せば一発で営業部門は赤字です。しかも、そうして下げてきた結果、製造側も採算が合わない とい
 うことになります。

 大メーカーの重役さんのなかに「そういう状況だから、そうなりますねや」と言っている人がもたくさん おられますが、それは値決めではないんです。たしかにお客さんが喜んでくれる値段の最高の値で値決めをするんだけれども、そのあと経費が要るとするなら、 最後の原価をどこまで安くするかということをしなければならないわけです。なのに、原価はもう決まっているものとして、原価と売値の間だけが10%に縮 まってきている。これでは経営が圧迫されるのは当たり前のことです。

 たとえば、売値4000円の時計を作るとします。そこから流通マー ジンを全部引けば、元が1000円になったとします。ところが、従来の時計で使っていた水晶振動子はいくら、バッテリーはいくら、と積み重ねていくと、も う材料費だけで元の1000円を超えてしまう。そうすると、ガラッと発想を変えなければならないのです。今まで使っていて水晶振動子を半値で、いや、3分 の1の値段で仕入れるところはないか。バンドも、今まではAとBから買っていたけれど、これを5分の1で買えるところはないかと探し回るわけです。です が、それにも限界があります。そこでVA(バリューアナライシス)が必要になるのです。

 今までの足し算でもって、ただ業者を叩いて買え ばいいというのではなしに、叩いていったのでは限界がある。だから、設計そのものを変えなければならない。設計を変えて1000円で作れるように、そして 1000円でも利益が出るような設計に変えようというものがVAです。つまり、その値段で合うように技術屋が設計そのものを変えていかなければならない時 代なのです。ただ単に足し算方式でもって、今までの金額から、叩いて、叩いて業者から安く買ってコストダウンをしようという甘い考えでは、経営は全部赤字 になります。

 閉店セールで既存粗利を確保する強者達
 商いをするとき、お客さんになるべく安く売ったら売れると直感的に思うわ けです。そして、仕入れてモノを売っておられる場合、「元々粗利は30%なければならん!」と強く思っていない人が大半だと思います。モノによっては 30%取れるけれども、モノによってはそうはいかないと、それを認めていらっしゃる方が大半だと思います。3割取れるものもありますが、モノによっては2 割しか粗利が取れないものもありますという人が大半だと思います。ところが本当に利益を出しているところは、3割の粗利を確保するために非常な努力をされ ているのです。

 スーパーや安売りのディスカウント店で、うまくいっている店では、ヨソの2割引きで売っているのに、仕入れも2割叩いて買っている。やっぱり、30%取っているんです。
  この前、スーパーで「5%還元セール」というものをやっていました。3割あるマージンから5%吐き出して、25%の粗利で還元セールをしたスーパーもある かと思えば、「ウチは5%消費税還元セールをするから、おまえも5%引け」と仕入先に言って、粗利をちっとも変えずに5%引きで売っているスーパーもある ということです。

 また一方では、消費税還元セールで成功したものだから、それに連れて10%引き、10%還元ということをやったり、 20%引きのセールをしてみたところが、売れなくなったと言うんですね。考えてみれば、20%引きというのは、普通のバーゲンセールで全部やっているんで すね。それでもあんなに売れるわけがないのに、5%という消費税還元セールのときは売れたという。だから、安ければ売れるというものじゃないんですね。そ して、後々10%引き、20%引きをやったスーパーはたいへんな苦労をして、マージンは減り、えらいことになってしまったという話を聞いています。

  もうひとつあります。百貨店がうまくいかなくなり、閉店セールというものをやっているところがありますね。何日も閉店セールをやって、一杯お客さんが並ん で、毎日毎日黒山の人だかりで買われる。ところが、閉店セールだから売り切れがあるはずなのに、あれはないんですね。そして、百貨店始まって以来の売上だ と言っておられる。

 普通に考えれば、閉店セールだというので、半値だとか4割引だとか、ベラボウに安い値段で売っているんですから、品 切れになって「これでもうありません」となるのになと思うのに、いつまでも続いている。不思議だなあと思っていたら、あれは全部メーカーに背負わせてい て、粗利は元のままだったらしいですね。そういう点からも、商業資本が強くて産業資本が弱いということが言えますね。

 値決めは経営トップの仕事
  値決めというのは非常に大事です。値決めと仕入れとは連動しています。値決めと製造のコストダウンとは連動しているんですね。「値決めは経営なり」と言っ ていますが、それは値決めだけが独立しているのではありません。値決めが経営の本質であり、値決めで経営が決まるのであれば、その責任として仕入れにも責 任を持ち、製造のコストダウンにも責任を持ちますよということなんです。つまり、トップの社長でなければコストダウンの指示もできませんし、安く仕入れる こともできません。それを資材の担当に任せたり、製造の連中にただ安くものを作ってくれ、コストダウンをしてくれと言う程度では、値段のほうが先に下がっ ていきますから、たちまちに赤字経営になってしまいます。

 値決めをするときには、値決めを決める瞬間に、もう製造のコストダウンを考え ていなければなりませんし、その製造のコストダウンが頭のなかにあるから値決めができるわけです。また、値決めを決める瞬間に、「あのメーカーとこう交渉 して、この値段にしてもらおう」という戦略戦術が取れるから値決めができるわけです。そういうところまで頭がまわらないような営業の一担当者に値決めをさ せたのでは、とんでもないことになります。

 革新的コストダウンを図るのが技術屋の任務
 私は値決めということについて、今まで たいへん力を入れてきました。そして製造業なものですから、会社を始めてしばらくした頃、私自身を含めて「新しい技術開発をするのが技術屋の仕事だと思う かもしれないが、そうじゃありません。技術屋というのは、どうしてコストを下げるかということを考えるのが技術屋だ」というふうに位置付けました。

  モノを作っていくときには、とにかくチマチマ作って少しでも安くしていくというような製造ではありません。ガラッと変えていくんです。今まで100円の原 料で作っていたが、5円の原料でモノが作れないかと考えて、そしてそれを見付け出す、考えつく、研究するのが技術屋なんです。大発明、大発見をするのが技 術屋ではありません。とことん原価を安くして作ることを考えつく。世界中のみんなが100円の原料で作っているのなら、私は5円の原料でそれと同じものを 作ろうと考えて、それを見付け出す。それが技術屋の任務です。

 「製造原価をどう安く作るかということが技術屋の任務です」と位置付けた わけです。象牙の塔にこもったような、研究所にこもったような技術屋は必要ない。どこよりも、途轍もない安い値段でモノを作ることを考えつくのが優秀な技 術屋だと位置付けて、そういうふうにウチの技術陣にハッパをかけてきました。つまり、そういうことと値決めとが連動していかなければならないのです。

  盛和塾のなかでも、薄利でもって商売がうまくいくと思って、商売を始めたけれども、売上げが増えてきたにも関わらず悪戦苦闘しておられる方があります。そ してちょっとした引っかかりで、売った相手先が倒産でもすると、その被りでもって本体が揺れておられる。薄利でいくとお考えになったのはいいかもしれない んですけれども、それは値決めがおかしいんですよ。たしかにその値段であったら売れるかもしれませんが、その値決めでは経営は安定しないんです。つまり、 値決めによって経営がうまくいっていないというケースをよくお聞きするわけです。

 もちろん、値決めが大事だと言いましたけれども、すで に売っておられるもの、同業者のあるものを、値決めが失敗したからといって値段を上げたら、なお失敗するわけですからね。そんなバカなことはできません。 ですから、どうしてもマージンが取れないものであれば、そういうものは扱わない。新製品を見つけるんです。仕入商品でも新商品を仕入れるんです。

稲盛塾長の講話です。

まず売値ありき
 値決めの普遍的な原理として「お客様が喜んで買ってくれる一番高い値段、それが値 決め」と申し上げましたが、ではその値段で売ったからといって経営がうまくいくのかというと、そうとは限りません。その値段で売ったけれども利益が出ない ケースがあります。問題は、その売値の中からどのように利益を出すかということです。

 これが製造メーカーの場合、製造側のコストダウン がどのくらいできるかにかかってきます。営業がただ単に安い値段を出して注文を取ってきたのでは、製造がどんな苦労をしても利益は出ないかもしれません。 ですから、なるべく高い売値で注文を取ってもらわなければならないのですが、その売値の中から、どのくらい利益が出るかは製造側の責任において努力しなけ ればならないのです。

 モノを作る場合、その原価を基準にして、原価+利益で売価を決める方法が一般的に行なわれています。原価がいくらかかったので、それに利益を上乗せて売価を決めるということは、資本主義社会では正しいと言われていることです。
  ただし、今ここで言っていますのは、実学の中なかでも書いているとおり、売価還元方式で原価を求めるという方法です。つまり、売値が先にありきなのです。 原価に対して、利益がいくら必要というので、単なる原価+利益が通用するマーケットならいいのですが、これだけ競争が激しい市場の場合、そんな呑気なこと は言っていられません。売値が先に決まって、それに合うような原価で作れるか作れないかということが勝負になってくるのです。これが現在の市場経済の原理 になっているにも関わらず、資本主義社会における会計学では全部原価主義になっており、大企業でも全部原価主義です。ところが原価+利益では売れなくなっ てきている為、値段を下げて売る。すると利益がふっ飛んで赤字になってしまうのです。
 現在の経済の資本主義社会のなかでは、「まず売値あり」なのです。売値があって、その売値に合わせるように、如何にして原価を引き下げるかということこそ、現在の経営でなければならないのです。

 ところがその売値も、安くすれば売れますが、下げすぎたのでは、いくら苦労しても利益は出ないかもしれない。ですから、売値は市場に通る値段の最高の値段でなければならない。ここに非常に重要なポイントがあるのです。
稲盛塾長の講話です。


高価格でも市場席巻1(厚い販促活動でライバル飲料を蹴散らしたコカコーラ)
 いろんな例を挙げていきます。
 終戦後の闇市の時代に、コカコーラが日本に入ってきました。コカコーラが出る前、戦前はラムネやサイダーが炭酸飲料の主流でしたが、それは決して高い値段ではありませんでした。当時、コカコーラはラムネやサイダーに較べて、2倍、3倍もの値段であったと思います。
  コーラを飲んでみると薬くさい味がして、こんなものは売れないだろう、ラムネやサイダーよりもべらぼうに高いし、なんでこんな値決めをするのかなと思いま した。 ところがご承知の通り、それが席巻をして、ラムネやサイダー等は蹴散らされてしまった。本当なら、庶民が飲めるような安いもので、いいものでなけ れば市場は取れないというのが一般の常識なんですが、コカコーラが市場を席巻していくのを見て驚きました。

 では、いったいなぜなのか、 実はあの当時、販売店にたくさんのマージンを渡していたのです。コカコーラを売ってもらうお店には、店の前に「コカコーラ」という看板をタダで立てて、販 促費という名目のお金を渡す。なるべくサイダーやラムネは売らないで、コカコーラを売るようにというインセンティブを得るために、お金を出して支援してい たわけです。
 高い値段で売りますから利潤が大きくなります。ですから、利潤の大半を販売店に還元し、同時に宣伝広告に膨大な金額を使えたので す。そのために薄利で安いマージンのラムネやサイダーは、コカコーラに匹敵するような広告宣伝もできないし、販売の方々に対してお金を渡すこともできな い。結局は蹴散らされてしまうわけです。
 つまりコカコーラの場合、高い値段であったから売れなかったのではなくて、高い値段だけれども、そこで 得られる粗利を販売促進に有効に振り向けていった。それによって市場が決まっていったという感じがします。そういう意味では、値決めは高いから悪いとか、 安いからいいということではなくて、どういう値決めをするか。それが経営そのものだということになります。

 高価格でも市場席巻2(国民の健康を守ると意義付けたヤクルト)
  次の例はヤクルトです。ヤクルトはヤクルト菌という新しい乳酸菌の株を使って作るわけですが、牛乳を乳酸発酵させたものは整腸作用がある、お腹の調子をよ くするのに非常にいいと言われています。ヨーグルト、ヤクルト、みんな同じ種類のものです。カルピスも乳酸を発酵させたものですが、ただヤクルトだけは、 発酵させた乳酸菌がそのまま入っています。一方、カルピスは乳酸発酵をさせても、その後に菌が死んでしまっています。
 ヤクルトが出だした頃、あ れはあまりもうからないだろうなと思っておりました。すでにカルピスはありましたし、整腸作用もある。何であんな小さいプラスチックに入ったヤクルトがカ ルピスに比較して高いんだろうと、不思議に思っていたものです。 ところが日本の津々浦々、ヤクルトはたいへんな普及をして、素晴らしい会社に発展をして いきました。日本だけではなく、ブラジルでもヤクルトは成功しましたし、その他の外国、東南アジアでも成功しておられます。

 ヤクルト は、全国のヤクルトおばさんが乳母車を引いて売り歩く販売形態です。ヤクルトは高いから粗利が大きく、その分マージンが大きいから、おばさん達にもたくさ んのお金をあげることができる。おばさん達も十分なアルバイトになるし、メシが食えるというので、熱心に売って歩かれるのです。
 しかも、売る前 には必ずヤクルトで研修があり、「これはただ単に清涼飲料剤を売るのではありません。健康を売るのです。国民の健康はヤクルトにお任せください。これを毎 朝一本飲めば、必ず健康にいいんです」と教えられるのです。つまり、ヤクルトを売るのではなくて、健康を売るのですという大義名分までヤクルトおばさん達 に植え付けて、「国民の健康を守るために我々は売っているのです」と意義付けることによって、高い値段でも大成功されたのです。

 値決めというのは経営そのものなんです。高い値段をつけてうまくいかずに失敗した例も多くありますし、安い値段をつけて失敗した例も多くあります。では、どういう値決めが必要なのか。これは非常に大きな問題なのです。
稲盛塾長の講話です。


夜泣きうどんの商いに、値決めのすべてが顕れる
 では、どうして値決めがそこまで大事なのか、簡単な例で具体的に申し上げます。
 私は地方の工場へ向かう途中、お昼時になると道路沿いのそば屋さん、おうどん屋さん、ラーメン屋さんに飛び込みます。
  特に田舎の場合、お昼時を外した1時ぐらいに飛び込みますと、ガランとしており「ごめんください。ごめんください!」と言うと、奥のほうからおばさんがヌ ウッと顔を出し、「何ですか?」てな顔をしているわけです。「いらっしゃいませ」だとか、「何にしましょうか」ぐらい言えばいいのに、ヌウッと出てきて怪 訝な顔をしているのです。こちらが「おうどんはできますか?」と言うと、「はあ。何にしますか?」とブスッとしたまま答えるのです。
 きつねうどんを注文し、感じが悪いなと思って座っていますと、大体生ぬるいうどんが出てくるんです。最初から印象が悪いものですから、食べてみると、やっぱりマズいのです。そのくせ、値段は京都の辺で食べるのとあまり変わらない、400円、500円取られます。
 1時ちょっと過ぎているとはいえ、ひとりもお客さんが入っていない。おばさんが奥からヌウッと出てきたところを見ると、先ほどもお客さんがいなかったであろうということがありありとわかるわけです。

  私は、この田舎で、京都の町中と同じような値段のうどんをなぜ出すんだろう、といつも思うんです。お客さんも近辺の人で所得の低い人でしょうから、500 円では高すぎて食べられないはずです。だから、お客さんは来ない。来ないから、ではどうするのでしょう。何ヶ月か後また入ってみますと、500円から 550円に値上がりしていました。
 おばさんにしてみれば、一杯500円でお客さんが来ないため採算が合わず、これでは困ると値上げを行う。する とさらにお客さんが来ないという悪循環になるのです。 つまり、値決めとは何なのかということをわかっていませんから、「いやあ、きつねうどん一杯500 円ぐらいのもんですよ」と、ただ決められるだけ。そういうケースがあまりにも多いんです。

 私は京セラを始めましてから、役員に登用するとき、大学を出ていっぱしの理屈を言う人達を役員にするのではなく、ビジネスの原点がわかっている人達でなければ役員にするのはやめようと思いました。

 そこで、夜泣きうどんを売らせようと思ったことがあるんです。実行はしませんでしたが「ウチの会社の重役にするときは試験をします」と、次のようなことを言ったのです。
  「大八車に夜泣きうどんのセットを作って、元金5万円ぐらいを渡しておく。毎日その大八車を、昼でも夜でもいい、引っ張って歩いて、何ヶ月か後に元金の5 万円をいくらにして持って帰ってくるか。もちろん、その間は会社で給料は払うし、会社には一切出てこなくてよろしい。その5万円を元手に、どこまで増やす ことができるか、試験をします」
 なぜ、そういうことを私がしたいか、そのタネ明かしまでして、みんなに言いました。

 おうどん屋の屋台を引っ張って歩いてもらおうと思っているけれども、そのためにはまず、うどんを作らなきゃいけません。
  おうどんというのは、素うどんにしろどんなうどんにしろ、ダシが美味しくなければ誰も食べてくれない。そうすると、どういうダシを出すのか。鰹なのか、昆 布なのか、いや、鰹と昆布を使っていいダシを出そうという人もあるでしょう。そのときにはどういう昆布を使うのか。安い昆布を使うのか、高い昆布を使うの か、いろんな昆布がありましょう。ダシだって、何を使うのかによってダシの違いも出てくるでしょう。
 次には、ネギはどこから買うてくるのか。そ して麺はどうするのか。普通のスーパーで買って使うか、乾麺を買ってきて、自分で湯がいて一人前ずつ丸めて使うか。いやいや、そんなことをするぐらいなら 手打ちだという人もいるでしょう。自分でメリケン粉を買ってきて、自分で麺を打ったほうが安くあがるだろう、と考える人もいるかもしれません。いろんな選 択肢があります。つまり、おうどん一杯といっても、ダシも全部含めて、原価というのは千差万別、経営する人によって違ってくるわけです。
 苦労して安いものを仕入れ、苦労して夜通しかけてダシを出して作れば、原価は100円もかからないのじゃなかろうかと思います。
  では、値段はいくらにするのか。値決めです。原価が100円ぐらいしかかかっていないのだから、200円で売ろうと思うのも勝手なら、300円で売ろうと 思うのも勝手、400円にしようというのも勝手です。先ほどの地方のおうどん屋さんのように、500円にしようと思うのも勝手なら、値決めは自由なんで す。自由なんですが、さあ、どの値段でやったら一番うまくいくのかということが問題になるのです。

 また、今度はその夜泣きうどんの屋台 を、どの辺で引っ張って歩けばいいのか。売れないところをいくら歩いたって売れるものではありません。スナックやらバーなんかがある繁華街なら、夜、酔っ 払いが食べにきてくれるというので、繁華街の外れで構えて待っている人もおるでしょう。いや、その繁華街に行くまでに、学生街をまわって、夜、勉強してい る学生に素うどんを安く売って、相当売ってくる人もいるでしょう。繁華街の女性やら酔っ払いが食べにくるのは精々11時過ぎだからと、11時以降に屋台を 引っ張っていく知恵のある人もいるかもしれません。つまり、どこで何を売るかということです。何時の時間帯にはどこに売りに歩くか。これもその人の才覚な んです。
 そうなれば値決めも変わってくるでしょう。学生街で安く売ろうと思う人は、原価は100円だけども200円で売って、数で勝負しようと するかもしれません。非常に美味しいおうどんにして高い値段を付けて、数は少なくても利益が出るようにしようという人もいるでしょう。つまり、それは全部 値決めであり、それが経営をすべて支配しているわけです。

 利益を出して帰って来られるかどうか。3ヶ月なら3ヶ月間、夜泣きうどんを引っ張って歩いて利益が出た。そういう人が、商才があると言える人であって、そういう人を京セラでは役員にする。

 そういうことを言い続けましたが、一回も実行はしていないんです。
稲盛塾長の講話です。

京セラフィロソフィより第3章「京セラでは一人ひとりが経営者」

 経営の死命を制するのは値決めです。値決めにあっては、利幅を少なくして大量に売るのか、それとも少量であっても利幅を多くとるのか、その価格決定は無段階でいくらでもあるといえます。
  どれほどの利幅を取ったときに、どれだけの量が売れるのか、またどれだけの利益が出るのかということを予測するのは非常に難しいことですが、自分の製品の 価値を正確に認識した上で、量と利幅との積が極大値になる一点を求めることです。その点はまた、お客様にとっても京セラにとっても、ともにハッピーである 値でなければなりません。
 この一点を求めて値決めは熟慮を重ねて行なわれなければならないのです。

 お客が喜ぶ値段の一番高い数値を瞬時に射止める
  会社設立時、京セラはエレクトロニクス用の絶縁材料としてのセラミックを作っていました。当時、真空管やブラウン管を作っているメーカーでは、そのなかに 使う絶縁材料が必要でしたが、既製品がなかったため、京セラが新しい絶縁材料を試作してメーカーに納め、試験の結果が良ければ、後々その真空管が量産され る段階で、引き続き注文をもらう。こういう受注生産の仕事から、京セラは始まりました。

 もちろん、同業の先発メーカーが既に納めている 場合もあります。そこへ京セラの営業が注文を取りに行けば、新しい会社が注文を取りにきたというので、「今、1社から購入しています。京セラでも作れるな らその見積りを出して下さい。その結果、安ければ買ってあげましょう」と言われる。そして見積りを提出し注文をもらうことになるのです。

 しかし、こうして段々と会社が大きくなり、お客様が増えてくるに従って、私達1社だけではなく、2社も3社も同業者が出てきて、競争になっていきました。
 当然、お客様は原価を下げるために、安く買いたいと思われます。ですから、営業マンに、必ずといっていいくらい「京セラでは、いくらになるのか見積りを出して下さい」と言われました。
  しかし、見積りを出してみると「別の競争会社から、もっと安い、1割も安い値段が出ている。そんな値段では注文は出せません」と言われるのです。営業マン はビックリ仰天して、従来の値段では注文がもらえそうにない、もっと安くしなければだめだというので見積書を作り直して、またお客様のところに持っていき ます。しかし、それをちらっと見て、「こんな値段ではまだダメだ。この前、同業者は1割安いと教えてあげたけれども、その後、また安くして持ってきたよ」 と言われる。つまり、天秤にかけられているのです。

 私は、営業マンからその話を聞いてどうもおかしいと思いました。同業者も急にそんな に安く作れるわけがありません。つまり、その1割5分は駆け引きなのか本当なのかということです。駆け引きだと思って、同業者も1割ぐらいしか引いていな いはずだと、ヤマカンで「ウチはやっぱり1割しか引けません」と言えば、それが外れた場合には1割5分引いた同業者に注文が行って、ウチは注文がなくなり ます。

 受注生産の場合、作業員を抱え、設備を整えているのに突然仕事がなくなるようなことがあれば死活問題です。値引きが駆け引きなの か、本当なのか、正しく見極めなければなりません。ですから、私は、営業マンに購入担当者とやり取りを再現させ、そこから少しでも真実を汲み取ろうとし て、一生懸命に苦心いたしました。

 そうして苦労しているうちに、大変重要な点に気がつきました。営業が納入単価を交渉するとき、一般的にお客様の言い値に合わせることが多く、たしかに先方に合わせなければ注文は取れないかもしれません。
  しかし、営業マンが1割5分も安い値段で受注すると、その瞬間から製造側は1割5分のコストダウンをしなければならないことになります。1割5分のコスト ダウンは相当に難しく、製造部の人達は本当に辛酸をなめるような苦労をしなければならないのです。なのに営業はひと言でもって、「いや、お客さんはそれで なければ買わないと言われますから」と言うのです。
 「君、そんな簡単な......。1割5分と言うが、そんな簡単なことではないんだ」
 私はそう思いましたが、1割で見積りを提示して注文が取れなければ死活問題です。
 そこで私はよく、次のように営業に説教をし、教育をしました。

  営業は安くすれば注文が取れるのだから、製造の人達だけが非常に苦労を押しつけられるのは、不公平ではないか。営業は安価な注文を取ってもえらくはないん だ。営業にも知恵があり、技術がなければおかしいではないか。営業に知恵があり、技術があるとすれば、それはお客さんが喜んでもらう値段、つまり、ウチが 提示した値段を、「この値段なら結構です」とお客さんが買ってくれる値段、その喜んで買ってくれる値段の一番高い値段で売るのが営業の技術なんだよ。
  君はさっきから1割5分と言っているし、事実1割5分安くすれば買ってくれるかもしれない。しかし、お客さんは本当にその値段以上では買わないのか。お客 さんは掛け値を言っただけで、1割でも買ってくれるかもしれない。いや、6%引きでも買ってくれるかもしれない。つまり、お客さんが買ってくれる一番高い 値段で売るんだ。
 お客さんが喜んで買ってくれる値段よりも安ければ安いだけ注文はもらえるんだから、それでは意味がない。かといって、それ以上 の値段では、他の安い同業者から買うから要りませんよと言われて、突然に受注を失ってしまう。それでは困る。だから、これ以上なら注文が逃げてしまう、こ れ以下ならなんぼでも取れる、その一番高い値段を瞬時に射止めなければならない。
 だからこそ、お客さんと値段の相談をする場合、心血を注いで物 事を考えなきゃならん。駆け引きなのか、それとも本当なのかどうなのか。それは真剣勝負そのものであって、君みたいに、言われたからすぐ「その値段でなけ れば売れません」と言ったのではどうにもならんではないか。

 つまり、値決めとはお客さんが喜んで買ってくれる最高の値段を決めるということなんです。
  何でもそうです。下請けでも何でも、安ければいくらでも仕事はもらえますし、高ければヨソに取られてしまいます。ですから、仕事をもらえる最高の値段を出 す。それは営業担当者が軽々に決める問題ではありません。それは伸るか反るかというぐらいの大問題です。だから、値決めというのは、営業の担当者に任せる ものではなく、経営のトップが決めるものなんです。
 営業が持ってくる資料、情報、その真偽をとことん調べ尽くして、調べ尽くして考えていかなければならないことなんです。

反省のある人生を送る

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稲盛塾長の講話です。

反省のある人生を送る************
京セラフィロソフィー 第2章第6節「人生を考える」

 自 分自身を高めようとするなら、日々の判断や行為がはたして「人間として正しいものであるかどうか。奢りや驕(たか)ぶりがないかどうか」を常に謙虚に厳し く反省し、自らを戒めていかねばなりません。 本来の自分にたち返って、「そんな汚いことをするな」「そんな卑怯な振る舞いはするな」と反省を繰り返して いると、間違いをしなくなるのです。
 忙しい日々をおくっている私たちは、つい自分を見失いがちですが、そうならないためにも、意識して反省する習慣をつけなければなりません。そうすることによって、自分の欠点を直し、自らを高めることができるのです。
***************
 
この項目が第6節の最後になります。先ほど「純粋な心で人生を歩む」という項目を終えましたので、これが最後になりますが、この項目は人生の方程式のことを説明した第6節の中では最も大切だと言っていいかもしれません。
  なぜかと申しますと、私は人生の方程式の中で「その人が持つべき哲学、思想、心のあり方、または理念、信念、言葉をかえれば、その人の人格というものがた いへん大切ですよ。その人の人格そのもので人生が決まりますよ」ということを申し上げています。この2日間にわたって、私はそのことだけを申し上げてきま したから、皆さんもよくおわかりになったと思います。

 反省による手入れをしなければ、人の心は利己で埋まる

 しかし最 後に大事なことは、我々人間は肉体を持っているということです。我々はこの肉体を維持しなければなりません。毎日ものを食べて水を飲み、睡眠をとらなけれ ばなりません。水だけでも1週間摂らなければ、人間は命が絶えると言われております。この肉体を維持するためには、美味しいものを食う、または喉が渇いて 水を飲む。それが人間に元々本来備わったものです。つまり、人間は肉体を持つがゆえに、元々利己的で欲望に充ちた心を持っているわけです。
 利己 的で欲望に充ちた心を持っていると言えば、たいへんダーティに見えますが、決してそうではありません。利己的で欲望に充ちた心を持っていなければこの肉体 を維持できないから、神さまが与えてくれた心なんです。つまり、我々人間は肉体を持つがゆえに、利己的で欲望に充ちた心を本質的に持っているわけです。
  ですから、何も手入れをしないでそのまま放っておきますと、我々人間は必ず利己的で、強欲で、そういうものに充ち満ちた心で埋まってしまいます。それゆえ に、この項目にある「反省」というものがたいへん大事になってくるわけです。反省を繰り返していかなければ、素晴らしい考え方、素晴らしい人格、人間性、 そういうものを維持することすら不可能になります。ましてや、素晴らしい人間性、素晴らしい考え方、素晴らしい人格を向上させることなど、まったく不可能 になるんです。つまり、考え方は動機が純粋でなければなりません。心が純粋でなければなりません。心を純粋に、また善に向けていくためにも、「反省」こそ 欠かせないものなのです。
 私は皆さんから「塾長、塾長」と言われて慕われ、また偉そうなことも言っておりますけれども、私自身、まったく不完全 な男です。肉体を持っておりますだけに、悪くいえば、スキあらば悪さをする、スキあらば自分の欲望を満たそう満たそうとする普通の人間そのものです。です から当然、間違いもしばしば起こします。
 それがあるからこそ、聖人君子ではなくて、私自身が若干の人間らしさを持っていると言われるのかもしれ ません。またそれが私自身の人間的な魅力であるのかもしれません。しかし、それはそれで、やはり悪いことは悪いのですから、常に反省を繰り返し、それ以上 悪くならないように努力をするのが我々の努めだろうと思っています。また、昨日から申し上げている人生の方程式を立派に遂行するためにも、私の考え方を常 にいい方向に維持し向上させていくためにも、反省は欠かせないものだと思っています。
 反省のある人生を送っている人は、当然謙虚な人です。私は 皆さんに、「謙のみ福を得る」という中国の古典の言葉を申し上げています。謙虚な人生のみ福を得ることができます。謙虚な人でなければ、決してラッキーな ことは得られません。どんなに立派なことをやろうとも、傲慢になってはいけません。そういうことを常に申し上げていますが、謙虚な人生を送っていくために も、自らを反省する人生でなければならないのです。

 「神さま、ごめん」「神さま、ありがとう」

 皆さんもよくご存知の 通り、私は若い頃から毎朝洗面をするときに反省というものをしてきました。最近では、毎朝洗面所に向かったときだけではなくて、一杯飲んで夜、帰って寝よ うとする時にも反省をしています。ちょっと威張ったようなことを言ったり、何かこう調子のいいことを言ったりすると、もう恥ずかしくて、家に帰って、また こういうホテルの場合でも、「神さま、ごめん」とすぐ出てしまいます。
 「ごめん」と「神さま、ありがとう」と、二つ出るのです。この二つしか言 葉はないのですが、そのどちらも、「許してください。先ほどの態度はごめんなさい」というためなのです。これが朝洗面をする時、または傲慢に振る舞った り、悪さをして帰ってきた時、ひとりになった時に出る言葉です。それも大きな言葉で出るものですから、人が聞いたらキチガイではないかと思われるかもしれ ません。ですから、その言葉が出るときには、なるべく自分の部屋にいるようにしているんですが、それが私を戒めるものだと思っています。

 反省のある日々が人生方程式を完結させる

 CSIS というアメリカのシンクタンクの社長をやっておりましたアブシャイヤー元大使が、私が書いた『新しい経営、新しい日本』の英訳版の「リーダーのあるべき 姿」という一節を読まれて、「特にクリントン大統領の今の現状から見て、ワシントンの政官財の間で、新しい世界を引張っていくためのリーダーのあるべき姿 を議論する必要がある。ドクター稲盛の本から得たことなんだけれども、アメリカの有識者に集まってもらって、新しいリーダーはいかにあるべきかというリー ダー論をやりたい」と言いに来られました。
 今年の春、その会がもたれたのですが、私の本からヒントを得た会ですから、私もそのシンポジウムのス ポンサーのひとりになり、かつ同時にランチのときのスピーチにもまいりました。そのスピーチで私は、内村鑑三の『代表的日本人』に出てくる二宮尊徳の話を 例に引きながら、こういう話をしてきました。

 多くの方々が、「リーダーとして我々が認める人は立派な人格を持った人だ」と、異口同音に 言われると思います。しかし大事なことは、人格は変化するということを前提に置かなければならないということです。リーダーには大変立派な人格者を選ぶ必 要があります。初代ワシントンはこうであった、ああであったと、いろんな事が出てきましたけれども、素晴らしい人格を持った人をリーダーに選ぶというのは 当然でありますが、しかし残念ながら、人間の人格は変化するということを前提におかねばなりません。
 たとえ、立派な人格を持った人だと思い、そ の人をリーダーに選んでも、その人が権力の座について数年、変化を遂げて人格が変わり、我々が思ったような政治をしてくれないというケースはいくらもあり ます。また、若い頃には犯罪にまで手を染め、人間的にいかがかと思われたような人が、晩年は人間が変わったように、素晴らしい人格者になっていかれた例も あります。立派な人格者と見えた人が、権力の座について変化を遂げ、本当にくだらない悪さをするという事も我々は見てきています。
 つまり、リー ダーに立派な人格者を選ぶことは大切ですが、人間の人格は変化をするということを前提に置くべきなのです。立派な人格の人であっても、その人格を維持する ためには、その人が謙虚で、反省のある毎日を送っているかいないか。これがポイントになります。そういう人を、我々はリーダーに選ぶべきです。
 私の話を聞いたワシントンの多くの政官の方々が昼食のあと、私のところに寄ってきて、「素晴らしい話を聞かせてくれた」と喜んでくれました。
  あの人生の方程式が立派なものであり、そして立派な考え方をしなければ立派な人生を送れないとすれば、立派な考え方をつくるための努力をしなければなりま せんが、同時にその手入れも決して怠ってはいけません。毎日毎日手入れをし、磨き、さらに立派なものにするためには、反省のある毎日を送る、反省のある人 生を送る。そういうことがなければなりませんし、それが人生の方程式を完結するもとだと思います。

小善は大悪に似たり

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稲盛塾長の講話です。

小善は大悪に似たり********                    
京セラフィロソフィー 第2章第6節「人生を考える」

人 間関係の基本は、愛情をもって接することにあります。しかし、それは盲目の愛であったり、溺愛であってはなりません。上司と部下の関係でも、信念もなく部 下に迎合する上司は、一見愛情深いように見えますが、結果として部下をダメにしていきます。これを小善といいます。「小善は大悪に似たり」と言われます が、表面的な愛情は相手を不幸にします。逆に信念をもって厳しく指導する上司は、けむたいかもしれませんが、長い目で見れば部下を大きく成長させることに なります。これが大善です。真の愛情とは、どうあることが相手にとって本当によいのかを厳しく見極めることなのです。
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  「小善は大悪に似たり」というのは、たとえば自分の子供が可愛いばかりに溺愛し、甘やかし、大事に育てたつもりなのに、子供が長ずるに及んでロクでもない 人間に育ってしまい、世間にも大変な迷惑をかける。そういうことを言った言葉です。可愛い可愛いと思い、子供の言いなりに溺愛をするという小善をなしたこ とが、その子供にとっては大悪になる。つまり、小善を行なうということは大悪を行なうことに似ているのだということです。
 また、「大悪は非情に 似たり」と言いますように、大善は大変薄情に見えます。「人間若いときには苦労は買うてでもせよ」とよく言いますし、「強いライオンはわが児を千尋の谷に 突き落とし、そこから這い上がってきた子供しか育てない」という例え話をする人もおられます。つまり、むごいように見えるけれども、それは愛のムチとし て、その人を大きく育てる為に必要なものなのです。まさにむごい仕打ち、非情に見えるその行為が、実は大善をなしていく。「大善は非情に似たり」とは、そ ういうことです。

 IBMの社是に悟りのヒントを得た、小善の意味、大善の意味

 実は、これは京セラをつくった当時から 私が持っていたものではありません。フィロソフィの中で、私は一貫して、利他の心、優しい心、思いやりの心、純粋な心、美しい心でなければいけませんとい うことを言っています。小学校の高学年で死の病にとりつかれて苦しんでいたときに宗教の本に出会い、それが私の人生観をつくっていったこともあって、男ら しい事業に対するチャレンジ、勇気をもってあたるというものと同時に、こういう優しい心というものを持っていたように思います。
 ところが事業を 始めてみますと、どうしても社員に小言を言わなければならないし、厳しく叱責しなければならない時も出てきます。また、「君は辞めてくれ」と言わなければ ならない時もあります。優しい心ですから、社員に対しても何にでも優しくしなければならないと思うのですが、たちまちにそういう局面に遭遇したのです。
  私は人生を生き、成功させるためには、優しい、美しい、利他の心が大事だというものを持っていましただけに、その矛盾は正に私のエゴではないかと思えてし まったのです。つまり、自分が会社の責任者になり、その会社を良くしなければならないために、今までの私の人生観に反してむごいことを従業員に要求し出し た。いよいよ悪い私の本性を現したと思えたのです。非常に悩みました。
 塾生の皆さんも、自分の事業で苦しみながら、何か人生の中で頼りになるも の、杖になるものはないかと模索をされます。そういう物を求めて盛和塾にお入りになり、私の一言半句を聞いて、それを自分の人生の拠り所にして生きていこ うとされている。同じように私も悩み、色んな事をやりました。
 会社をつくって、そういう局面で部下を怒り、叱り、あるときには仁王様みたいに 真っ赤になって部下を叱っている自分。その自分とかねて言っていることが矛盾をする。その矛盾が解けないままに悩んでいました。その時にIBMの創業者ワ トソンさんが書いた本だったか、IBMの人に聞いたのか、よく覚えておりませんが、聞いた話に解を得たわけです。
 アメリカのIBMには「社員を 大事にします」という項目があります。たしかにアメリカの会社でありながら、IBMは日本と同じように永く勤める人が多い会社です。アメリカではしょちゅ う会社をかわります。会社をかわればかわるほど箔がつくと言われるアメリカの中でも、IBMは勤続年数の永い会社です。IBM、ヒューレットパッカードと いう会社は、日本と同じように長い間勤める人が多い。場合によっては定年まで、入社後、どこにもかわらずに定年まで勤める人が多いという。そういう社風を 持った会社だということは聞いていました。
 IBMをつくったワトソンさんは、「わがIBMは社員を大切にします」ということを社是にしています。そして、どういうふうに社員を大事にするのかという項目もいっぱいあるのですが、その説明の中にひとつ、こんなたとえ話が出てきます。

  ある北国の湖の畔に、心優しい老人が住んでいました。湖には毎年毎年、雁の群が飛んできて、ひとつの季節を過ごします。優しい老人はいつとはなしに、湖の 畔で雁たちに餌をあげるようになりました。雁は水辺に寄ってきては老人がくれる餌を喜んで食べておりました。来る年も、来る年も老人は餌をあげ、雁もその 老人のくれる餌で生きていました。
 ある年も、雁の群がその湖にやってきました。雁たちは、いつものように餌をもらいに水辺に寄っていくのですが、その老人は現れません。毎日毎日、水辺に寄っていっては待ち続けるのですが、老人は現れません。亡くなっていたのです。
 その年寒波が襲来して湖が凍結してしまいました。老人が現れるのを待ち続け、餌をとる術を忘れてしまった雁たちは、やがて全部餓死してしまいました。IBMではそういう社員の育て方はしません。

  雁は厳しい自然界の中で苦労して生きていくのが自然なのですから、凍結した湖面の時でも自分で餌を探して生き延びていく。そういう逞しい雁になるように、 IBMは社員を大事にしますという話なのですが、「なんや、ちっとも大事にせんやないか」と思いましたけれども、「これが真の愛情なんだな」ということ に、私はそのとき気が付いたのです。気が付いてからいろんな本を読んでみますと、仏教の中に「小善は大悪に似たり」という言葉がありました。これだ! と 思いました。
 優しい心で社員に接しなければならないと思いながら、一方ではそれに矛盾するように、烈火のごとく湯気を立てて怒っている自分。な んと人間ができていないと思ったけれども、いいわいいわという、どんなことがあってもただ優しいだけではこの会社をダメにしてしまう。真面目な社員もいな がら、この会社を潰すようなことがあれば、たいへんな罪悪をなすことになってしまう。勇気がないばかりに、従業員に人気をとって、従業員からいい社長だと 思われたいばかりにそういうことをやっていて、そして全体を不幸にしてしまうということがあったなら、たいへんなことになってしまう。私は心に鬼にして、 叱るべきときは叱ろう。それは大善なのだ────。そう自分で言い聞かせて、それからは勇気をもって仕事をしてきました。それまで悩んでいた私を助けてく れた言葉が、この「小善は大悪に似たり」という言葉だったのです。
稲盛塾長の講話です。

動機善なりや、私心なかりしか  *******
第2章第6節「人生を考える」

 大きな夢を描き、それを実現しようとするとき、「動機善なりや」ということを自らに問わなければなりません。自問自答して、自分の動機の善悪を判断するのです。
  善とは、普遍的に良きことであり、普遍的とは誰から見てもそうだということです。自分の利益や都合、格好などというものではなく、自他ともに、その動機が 受け入れられるものでなければなりません。また、仕事を進めていくうえでは、「私心なかりしか」という問いかけが必要です。自分の心、自己中心的な発想で 仕事を進めていないかを点検しなければなりません。
 動機が善であり、私心がなければ、結果は問う必要がありません。必ず成功するのです。
*********

  今から17年、18年前、私が満50歳になった頃、日本の電気通信の自由化が始まりました。明治以来、国営で営々とつくりあげてきた日本電電公社が民営化 する。その折に新規参入する企業を認めるということが始まったときでした。当時、私は日本の通信料金が米国の通信料金に較べて非常に高く、多くの国民が苦 しんでいる事に義憤を感じておりました。しかし何兆円という売上げの巨大な国営の電電公社を向こうにまわして戦いを挑むには、日本の大企業を中心にして 作っている経団連をベースに大企業のコンソーシアムをつくり、それが一致協力して電電公社に対抗する以外に方法はなかろうと思っておりました。そして、早 くそういう企業ができて、我々の電話料金を安くしてほしいと思っておりましたが、日本の大企業が連合でかかっても危険性がたいへん高いというので、どなた も手を挙げられませんでした。その中で、今から15年前、私はたまらずに第二電電という会社をつくる決心をし、名乗りをあげたわけです。
 満50 歳になってから考え始めて、52歳ぐらいで第二電電を作る時まで、私は「動機善なりや、私心なかりしか」ということを自分自身に問い続けておりました。私 が第二電電という会社をつくろうとする、その動機は善なのか。そこに私心はないのかということを厳しく自分自身に問い、そして私心がないことを確認してか ら、名乗りを挙げたわけです。このことは、皆さんにはもう何回も何回もお話をしています。

 同志を奮い立たせた動機、大義名分

  第二電電をつくる時に「動機善なりや、私心なかりしか」というこの言葉が出てきたのですが、50歳になって、日本の通信が自由化されていくという時、実は 電電公社の幹部社員であった千本さんや、専門の技術屋数名に集まってもらって、週末に京都で、どうすれば電気通信事業への新規参入ができるか、その可能性 を議論しておりました。そのときに、私どもはこういうことを言っておりました。

 日本の電気通信事業は明治以後、国営で営々とやってき て、今日素晴らしい通信のインフラができあがったのだけれども、電電公社が民営化され、初めて新規参入が認められることになった。これは100年に一度あ るかないかという大転換期だ。その大きな転換期を、自分達はある程度のレベルの人間になって迎えることになった。私は満50歳、一緒に議論をしている皆さ んは40歳、30歳。100年に一度あるかないかという大転換期に、年頃といい、資格といい、ちょうどそれに相応しいものを持った者が居合わせる。これは 何万分の一という人生の機会の中でも、たいへん少ない幸運ではないか。
 100年に一回あるかないかという大変革のときに、その変革の舞台まわしができるかもしれない。それだけの知恵とそれだけの能力を持ち、それに参画できるかもしれないというチャンスがある。誠に幸運としか言いようがないではないか。
  そしてまた、私自身の人生、あなた方の人生、たった一回しかない人生の中で、命をかけて挑戦しても惜しくないような幸運に恵まれることは、そうはないはず だと思う。この機会に命をかけて、これをやってみようじゃありませんか。それは、たった一回しかない人生を賭けるに値する素晴らしいチャンスではないかと 思う。

 実は、これが集まってくれた若い人達に言った最初の動機であり、最初の大義名分であったのです。ただ野心的に挑戦をする、そして挑戦に値する素晴らしいチャンスだというそれだけでは、第二電電というものに踏み切ることはできませんでした。

 自らに勇気と大義を与えるために

 そういう人達とそういう動機でもって議論をし、何とかやれるのではないかというかすかな明かりが見えてきました。そのときに、私は踏み切っていくためにはもっと何かが必要だと思い、気が付いたのが、「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉であったわけです。
  それから後、約6ヶ月間、毎晩毎晩、お酒を飲んで眠るときも、正常なときも、必ずベッドに入る前、「動機善なりや、私心なかりしか」と自分に問いました。 「おまえは第二電電を何としても始めたい、やりたいと思っているが、その動機は善なりや。そこに私心はないのか」ということを、毎日毎日、寝る前に自問自 答し続けたわけです。百万の敵を向うにまわして、それに挑んでいく勇気を私に与えるためにも、私が今からやろうとする仕事は大義なんだという名分がほし かったものですから、私はこの「動機善なりや、私心なかりしか」ということを自問自答していったのです。
 このことも、昨日から申し上げている人 生の方程式の中の、まさに「考え方」なのです。その考え方の中に、「動機善なりや、私心なかりしか」ということがあれば、必ず人生はそうなっていきます。 この項目は、昨日の方程式の考え方を補完するためにも、大変大事な項目になります。

 善とは純粋な心

 先ほど「徳」とい うことを言いましたけれども、「善なりや」ということは、単純にいいこと、正直なこと、人を助けること、優しさ、思いやりのある心、美しいことという言葉 で表してもいいと思います。いや、もっと言いますと、純粋な心です。そういうものを、私は善という言葉で表しているのだと思っています。
 よいこ と、人を助けるということ、正直なこと、優しさ、思いやりのある心、美しいこと、純粋なもの、それが善だと思います。つまり、自問自答する場合に、おまえ がそれをやりたいという動機は美しいことなのかよ、いいことなのかよ、人助けをしようということなのかよ、人に対して優しいことなのかよ、人に対する思い やりの心があるのかよ、そしてそれは純粋なのかよ、ということです。
実は、同じ第6節の最後に「純粋な心で人生を歩む」という項目があります。善とは純粋ということなのだというふうに思いが至ってまいりますと、これとダブってきますので、ちょっとこの項目を読ませてもらいます。


夢を描く

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稲盛塾長の講話です。

京セラフイロソフィー 第2章第6節「人生を考える」***********

  現実は厳しく、今日一日を生きることさえ大変かもしれません。しかし、その中でも未来に向かって夢を描けるかどうかで人生は決まっていきます。自分の人生や仕事に対して、自分はこうありたい、こうなりたいという大きな夢や高い目標をもつことが大切です。
 京セラをまず西の京で一番、その次に京都で一番、それから日本一、世界一の企業にしたいという大きな夢を創業時から描き続け、努力を重ねてきたことによって今日があるのです。
 高くすばらしい夢を描き、その夢を一生かかって追い続けるのです。それは生きがいとなり、人生もまた楽しいものになっていくはずです。
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 夢を描くということはたいへん大事なことだと思います。会社を始めた頃、私はよく従業員に夢を話して聞かせました。会社の中でも、家でも、私は「夢見る夢夫です」という表現をし、夢を追いかける青年であり続けたいと考えていた時期があります。
  夢見る夢夫ですとか、夢を追いかけるロマンチックな人生でありたいと思い始めたのは、高校時代に遡ります。私が高校一年生の頃は昭和23年。敗戦から3年 しか経っていないときです。鹿児島市内は99%、空襲に次ぐ空襲で焼け野原になっていました。高校は鹿児島市内の海岸縁にあった掘っ立て小屋で、真っ正面 には桜島が噴煙をあげていました。
 その時の国語の先生がたいへんなロマンチストでした。教科書もあまりなかった時代でしたから、先生は有名な作 家の小説などを題材にしながら、毎日その話をしてくれました。その中で先生は、「毎日毎日、私は恋をしています」と仰るのです。何を言い出すのかと思いま したら、「毎日、桜島を見ながら自転車で学校に通うけれども、毎日私は桜島に恋をしています。あの雄大な島影、そして毎日のようにもくもくと吹き上げる噴 煙。あの情熱に憧れています。私は桜島に恋をしています」と。
あの食糧もない敗戦直後の戦災の焼け跡の中で、先生は明るくロマンチックに、毎日毎 日素晴らしい夢を描き、私達に夢と勇気を与えてくれました。その先生の影響だろうと思いますが、私も人生はなるべく楽しく、明るく、希望にあふれた夢を描 いていくべきだと思いましたし、またそういうことをその先生から教えられたようにも思います。

 皆さんもご承知だと思いますが、私の若い 時の人生は大変暗いものでした。小学校の高学年で結核になり、死にかける。旧制中学では二度も受験に失敗するし、大学受験も失敗をする。大学を出て就職を する時もいい会社に就職ができなかった。挫折に継ぐ挫折の青少年時代であったわけです。にも関わらず、暗くならないで、ひがまないで、人生を誤ることのな かったのは、常に明るく希望にあふれた、その先生の影響が大きかったからだと思っています。
 どんなに現実が冷たく暗かろうとも、自分の心まで病 むようなことはしない。そして常に明るく希望にあふれた夢を描いていく。あの暗くて灰色であった青少年時代でも夢を忘れず、自分の人生に明るい希望を燃や し続けていた事が、実社会に出てから私が素晴らしい人生を歩くもとになっていったのだと思いますし、またそれがあったからこそ、私の今日があるのだと思っ ております。
 自分の心に夢を描いていきさえすれば、きっとその夢は現実になります。そのことを、この項目で申し上げたかったのです。そして、こ の「夢を描く」ということも、人生の方程式にある考え方を具体的に示したものです。つまり、考え方の中に素晴らしくロマンチックな、素晴らしい夢を描け ば、その通りになるのだということを、ここでも言っているわけです。
ただし、夢という場合には、それは漠然とした明るい夢でいいんですが、事業を しています我々の場合には、もっと現実的な企業経営の目的だとか、また目標数字だとか、そういう具体的なものに置き換えたほうがいいかもしれません。そし て、その夢をリアルに、たとえばこういう売上にしたい、こういう利益にしたい、こういう雰囲気の会社にしたい、そういうリアルな数字や目標をハッキリ描い て夢を作り上げることも必要ではないかと思います。そういうことまで考えてやっていだたければ、その通りの会社ができると私は信じております。

次 の項目は、「動機善なりや、私心なかりしか」です。これはもう、今日お見えになっていらっしゃる塾生の方々はみんな、いろんな人生の局面でお使いになって おられることと思います。人生の方程式の中にある考え方は、まさにこの「動機善なりや、私心なかりしか」というもので構成された考え方でなければならない という意味から言っても、たいへん大事な項目です。
稲盛塾長の講話です。

心に描いたとおりになる*********
京セラフィロソフィーの第2章第6節「人生を考える」

 ものごとの結果は、心に何を描くかによって決まります。「どうしても成功したい」と心に思い描けば成功しますし、「できないかもしれない、失敗するかもしれない」という思いが心を占めると失敗してしまうのです。
  心が呼ばないものが自分に近づいてくることはないのであり、現在の自分の周囲に起こっているすべての現象は、自分の心の反映でしかありません。ですから、 私たちは、怒り、恨み、嫉妬心、猜疑心など否定的で暗いものを心に描くのではなく、常に夢を持ち、明るく、きれいなものを心に描かなければなりません。そ うすることにより、実際の人生も素晴らしいものになるのです。
*************
 
 昨日、「人生を考える」という節で 一番大事な人生の方程式についてお話をしました。その中で、考え方にはマイナス100からプラス100まであると申し上げましたけれども、人生はその考え 方の通りになるということを、この項目で表しているのです。心に描いたものとは、あの方程式でいえば「考え方」そのものであり、その考え方の通りになると いうことです。

 理屈抜きに、宇宙の道理、宇宙の法則を信じる

 「人生は心に描いた通りになるのです。心に描いた通りの ものが現象に顕れてくるのです」ということは、仏教や他の宗教家の方々もよく言われることです。しかし、我々はそれをあまり信じていません。昨日も言いま したように、「考え方」「熱意」「能力」という三つの要素が掛け合わされたものが人生の方程式になるのですが、その3要素の中で一番大きなものが「考え 方」です。心に描いたもの、心に抱いたもの、自分が持っている考え方、思想、哲学、その通りのものが人生となって顕れてくると私は言っておりますから、ま さに人生は方程式の中の「考え方」その通りになるのだということを「心に描いた通りになる」と表現しているわけです。
 これはなぜだと言われても分かりませんが、理屈ではなくて、宇宙の道理、宇宙の法則だと理解してほしいのです。ぜひ理解してください。
  これを否定すれば、昨日から一生懸命に言っております人生の方程式も成り立ちませんし、昨日今日の経営体験談の発表でも、まさに心に描いた通りになってい くということを異口同音に皆さんが仰っている、あの事実も証明できないことになります。あの事実を肯定するのであれば、人生の方程式も当然肯定しなければ なりませんし、また、心に描いた通りになるという項目も肯定していただかなければならないと思います。
 仏教の教えにある因果応報について、私は 「思念は業をつくる」ということを申し上げています。業、カルマとは、因果応報の因です。思念は原因、因をつくる。その原因は必ず結果となって出てきま す。思うこと、考えること、そのことが大事であり、その想念の中に悪いものを抱いてはならない、とお釈迦さまは教えておられます。ヨガの聖人と言われた中 村天風さんも、ゆめゆめ暗い想念を抱いてはならない、と我々に教えておられますが、その通りであろうと思います。
 また、「積善の家に余慶あり」 という中国の言葉があります。善きことを積んでいく、つまり、陰徳を積んでいく家には必ずラッキーが舞い込んでくるという意味ですが、善きことを思い、善 きことを行い、陰徳を積む。我々はよく「徳のある人」「人徳のある人」というふうに、「徳」という言葉を使いますけれども、簡単に申しますと、徳とは利他 の心を持っているということです。他を慈しみ、思いやり、助けてあげる。そういう思いを持っている人、そういうものを実行する人が徳を持っている人になり ます。高い高潔な哲学、思想を持っているから徳が高いというのではありません。人のために世のために尽くすことを生涯の規範にしていらっしゃる方が徳のあ る人なのだと思います。

 因果応報の理はあの世も含めて
 「心に描いた通りになる」と言いましても、私がそのことをみんなに説得 するときに一番困るのは、心に描いたことが直ちに実現しないということです。そのために、宇宙の道理、宇宙の法則を信じてもらおうと思っても、なかなか信 じてもらえません。つまり、心に描いたこと、心に思ったことを実行する。それが悪ければ悪い結果が、良ければいい結果がハッキリと出てこないために、それ を信じてもらうことがたいへん難しいわけです。
 しかし、短くて10年、長くて30年、そのくらいのスパンで見ていきますと、因果応報の辻褄は大 体合うように思います。お齢を召している方は、自分の若かった頃、現在、20年、30年というスパンで、あの当時はこうだった、ああだったと振りかえって みてください。または、友達はこうだった、ああだったと振りかえってみてください。そして現在どうなっているのか。自分の知る範囲において見られれば、わ かると思います。
子供の頃にたいへん苦労をされて、途中で非常に良くなり、そしてまた晩年落ちぶれていった人もいます。子供の頃から学校を出るぐ らいまでずっと裕福で幸せな家庭で育てられたけれども、社会に出てからあと、大変苦労されたという人もおられるだろうと思います。人生は千差万別ですけれ ども、短くて10年、長ければ30年ぐらいのスパンでその人の人生、つまり、その人の心の状態と結果とを見ていけば、辻褄は合っていると思います。ですか ら、心に描いた通りになりますよと言っても、今、描いたからすぐにそうなるというわけではありません。一生というスパンで見ていけば、忠実にそうなってい きます。そういうことを私は強く感じます。
しかし、それでも合わない場合があるのです。ピタッと合うようになっていれば、みんな有無を言わさずに 「参りました。今後は言うことを聞きます」ということになるのですが、そうでないものだから、「いやあ、稲盛さんはああ言うけれども」と眉つばで聞いたり する人がいる。困ったなと思っておりました。
 そこで何度か皆さんに、シルバー・バーチというインディアンの霊の話をしたことがあると思います。 イギリスのロンドンで降霊術をやっている町医者が書いた『シルバー・バーチの霊言集』という本がありますが、町医者の人が霊と現世とをつなぐ霊媒となって 喋る降霊会というものをやっておられます。ロンドンではそういう所が何ヶ所かあり、趣味のようにしてやっておられるそうです。
 町医者の名前は忘 れましたけれども、週末降霊会を始められると、いつも同じ霊が出てくるわけではないらしいのですが、そのお医者さんが霊媒となって瞑想して、ある精神状態 になったときに、しょっちゅう出てくる霊がシルバー・バーチというインディアンの霊。相当レベルの高い、人格の高い人らしくて、素晴らしいことを教えてく れるのだそうです。そのシルバー・バーチが喋ったことを記録したものが、『シルバーバーチの霊言集』という本であります。
 何冊も読んでいるうちに、一行か二行、シルバーバーチが「心に描いたとおりになる」という項目に関連したことを言っているものが出ていました。
  「現世で悪いことをしたり、いいことをしたり、悪いことを思ったり、いいことを思ったりすると、因果応報で、その通りの結果が出るとは誰も思ってはいない でしょう。思っている人は少ないはずです。しかし、霊界にいる私から見ると、現世では辻褄が若干合わなくても、あの世までをスパンに入れれば、もう寸分の 狂いもないぐらい、その人が思った通りになっています」
 たった二行ほどです。スルスルッと書いてあっただけですが、私はハッと驚きました。確か に現世ではすべてがすべて、こういう原因があればこういう結果が生まれるという風にはならないかもしれない。悪い人がのさばっておったり、いい人があんな に苦労をしたりしている。しかし30年ぐらいのスパンで見れば、された苦労はその人が大きく飛躍するために神が与えてくれたいい意味での試練であって、そ の後、素晴らしい人生を過ごしておられる。因果応報、なるほどなと思えます。
 また、悪い人が裕福でうまくいっているように見えたけれども、まさ にそれは、次にその人が落ち込んでいく前哨戦であったのだということもわかるようになります。それでも若干辻褄が合わない点も出てくる。それが、『シル バーバーチの霊言集』を読んでわかったのです。そこまで長いスパンで考えれば寸分の狂いもないという。よくわかるような気がします。
稲盛塾長の講話より

 一般に我々は学校で、自由な発想、自由な考え方、 自由な思想を持つことこそ、我々人間に許されている人間らしい素晴らしいところなんだ。こういう考え方を持たなければならんと言われ、強制されるのは非常 におかしい。────ということを教えられてきたように思いますし、特にインテリであればあるほど、そういうことを言います。
 万人、それぞれが 違った道、違った人生を歩いていく。小説の世界でも波瀾万丈の人生が描かれているし、映画もそうだ。千人おれば千人、万人おれば万人、それぞれが異なった 人生を送っている。それが社会というものであり、宇宙というものだ。どういう考え方を持つのか、どういう思想を持つのか、それはまさに自由であり、それが 自由人でありインテリである証拠なんだ────。これは現代人の基本的な考え方です。
 たしかに、どんな考え方を持つのも自由でしょう。しかし、 その自由のなかでどの道を選択するかによって、実は人生、運命が決まることまでは誰も考えていなかったのです。この方程式でいえば、自由である考え方、自 由である心、自由である思想、哲学、その選び方によっては運命が180度、方向が変わってしまうのです。そのことを我々は教わっていないわけです。事ほど 左様に重大なことを、我々は重大だとは思っていませんでしたし、誰もそのことを教えてくれなかったのです。
 もっと若い頃に、考え方がそれほど重大で、自分の人生をそれほど大きく決めるものなんだということを教えてくれていれば、そして今言ったような、そんな単純なことであるなら、もっと早く知っておったらと思う人は多かろうと思います。
  しかし残念ながら、今言った言葉、つまり「良い心」「悪い心」として挙げた言葉は、実は宗教が説いてきたものなのです。または道徳という科目で教わってき たものです。キリスト教ではこういう行いをし、こういう考え方をすべきですよ、仏教徒はこういう考え方をすべきですと説かれているように、それは宗教や道 徳が教えてきたことです。ですが、我々近代的インテリは、宗教を忘れ、宗教を離れてこそ真のインテリだと思い、またそういう戦後教育を受けて育ってきてし まいました。
 ただ、その宗教の場合にも、こういうふうに方程式みたいにして、こういう生き方をしなくちゃいけません、こういう考え方をしなきゃいけません、それがそのまま自分の人生を決めていくのですから、というところまで明確に教えてはいないのです。
  たとえば仏教の場合ですと、お釈迦さまがこういう生き方をしなければ地獄に堕ちますよ、こういう生き方をすれば極楽にいきますよと仰っても、死んだ先のあ の世の荒唐無稽な話だと思って、誰もそうとは思いません。ところが私が今思うのは、それは何も荒唐無稽なあの世の話ではなくて、実はこの方程式に出てくる 「考え方」が今の人生を決めるんだということです。
 実は第6節「人生を考える」という項目は、その「考え方」を解説している項目になるのです が、ここには前提があります。同じ節に「心に描いたとおりになる」という項目がありますけれども、どういう考え方をするかによって、その通りの人生が決 まっていきますから、考え方はそのまま自分の人生を大きく決めてしまうという前提があるわけです。
 どんな考え方をしようと、それは知的遊び、意 識の遊びであって、またはどんなことを思おうと、どんな小説を書こうと、どんなことを考えようと、それはそれだけのことであって、それは自分の人生とは何 にもリンクしていないと、みんな思ってしまっているのです。また、そういうふうに我々は考えているわけです。そして、考え方がそのまま人生に現れる、人生 は心に描いた通りになるということを誰も信じていませんから、この方程式も信じていないわけです。ですが、この方程式の通りに人生が決まるということを、 塾生の皆さんなら、大半の方が思っておられるはずです。
稲盛塾長講話より


 それなら、この方程式で言っている「考え方」とは何なのか。それは、福 沢諭吉が言ったような「哲学」という意味でもありますし、それを「心」と置き換えてもかまいません。または「思想」「理念」「信念」と置き換えてもいい し、あるいは人間の心の「良心」という言葉に置き換えてもらってもいいかもしれません。つまり、哲学であり、心であり、思想であり、そういうものを「考え 方」と言っているわけです。それでもわかりにくいかと思います。先ほど、考え方にはゼロの基点があって、プラスの方向に100まで、マイナスの方向に 100まで、一直線になっていると申し上げましたが、では、いいほうの考え方、プラスの方向とは何なのか。難しいことを考える必要はありません。哲学、思 想等々言いましたけれども、難しいことではありません。プラスの方向は「良い心」なのです。マイナスの方向は「悪い心」なんです。つまり、「良い心×熱意 ×能力」というふうに言ったほうがわかりやすいかもしれません。
 しかし良い心と言っても、「じゃあ、良い心とは何ですか」となってしまって、そ れもまたわかりにくくなってしまいます。本当は哲学者とか、そういう誰かが「良い心」を定義付けてくれると非常にいいのだがなと思うのですが、誰もそうい うことはしていません。そこで私が勝手に「良い心」というものは何か、今から単語を挙げていきます。
 常に前向きだということです。建設的という ことです。みんなと一緒に仕事をしようという協調的であることです。明るいことです。肯定的だということです。また、善意であることです。思いやりがある ことです。優しいことです。真面目、正直、謙虚、努力家であることです。利己的でなく、また欲張りではないことです。足るを知っていることです。感謝の心 を持っていることです。説明になりませんけれども、良い心とは、今言ったような事を全部持っているものだと思っています。
 なぜ、子供に言うよう なことを申し上げるかといいますと、「考え方が大事ですよ。だから、いい考え方をしなきゃいけませんよ」と言っても、実はみんなよくわかっていないので す。わからないものですから、この盛和塾で、フィロソフィという言葉でもって、哲学という言葉でもって、私はずっと「こういう生き方をすべきですよ」と言 い続けてきているのです。それは、私がフィロソフィという言葉で喋っている事そのことが、この考え方の基準になるべきですよという意味で言っているので す。つまり、それは良いほうの考え方を言っているわけです。しかし、その良いほうの考え方は、単純、端的に言えばどういう表現になりますかと問われたとき に困りますので、今並べたような言葉を挙げていったわけです。
 では、やってはならん悪い考え方、つまり悪い心とはどういうものかといいますと、 今言った良い心の反対側のものです。子供に言うようで皆さんには申し訳ないんでずか、先ほどと同じように言わせてもらいます。後ろ向きで、否定的で、非協 調的で、暗く、悪意に充ちて、意地悪で、他人を陥れる。不真面目で、嘘つきで、傲慢で、怠け者。利己的で、強欲で、不平不満だらけ。人を恨み、人を妬む ────。そういうものが悪い心、悪い考え方だと言ってもいいと思います。
 そこで、この方程式の「考え方」にはマイナス100からプラス100 まであるわけです。では、プラスのほうに点数が多いものはどういうものなのか、良い心のところでずっと挙げていったものにマルを付けていくのです。これも マル、あれもマルというふうに、大体全部にマルが付くようであれば100点に近いほうです。いや、これはいいけれども、これがちょっと足らんな、これも足 らんなというと差し引きをすれば、プラス50ぐらいになるかもしれません。悪い心のほうも、同じようにしていきます。全部がマルだと悪いほうの100点に なってしまいますが、これはちょっとあると思うものにマルをしてみる。マイナスの点数が出てくると思います。単純ですが、今日皆さんにお話をするために、 そのように考えてみたのです。

才を動かすのは心

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稲盛塾長講話より


 人生の方程式のなかにある「能力」のことを、私は才能のことだと言いましたけれ ども、これは非常に大事なことです。「才に使われるな」と言いますが、才能のある人は才気走ります。そのために才能に溺れてしまいます。頭がいいという才 能、商才、その才能のために才能を使っておったのでは、実はとんでもないことになってしまうわけです。才能があればあるほど、その才能を使う本人、 ────本人というよりは、才能を使う心です。心が自分の才能を動かしていかなければならないのです。つまり、心を失ってしまった才能だけ、商才だけがあ るという人は、「才子、才に溺れる」と言われるように、必ず失敗します。あたら優秀な頭があり、立派な才能、商才があるだけに失敗をするという。そういう 意味でも、心、考え方というものがたいへん大事になってくるわけです。
稲盛塾長の講話より
 
第6節「人生を考える」に入ります。最初の項目は、「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」です。この方程式は最初の頃、「能力×熱意×考え方」と書いていました。ところが後になってから、一番大事な「考え方」を最初に書くようになってまいりました。
 「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という項目について、京セラフィロソフィでは次のように書いています。

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力****
第2章第6節「人生を考える」

 人生や仕事の結果は、考え方と熱意と能力の三つの要素の掛け算で決まります。
  このうち能力と熱意は、それぞれ0点から100点まであり、これが積で掛かるので、能力を鼻にかけ、努力を怠った人よりは、自分には普通の能力しかないと 思って誰よりも努力した人のほうがはるかに素晴らしい結果を残すことができます。これに考え方が掛かります。考え方とは生きる姿勢であり、マイナス100 点からプラス100点まであります。考え方次第で人生や仕事の結果は180度変わってくるのです。
 そこで能力や熱意とともに、人間としての正しい考え方をもつことが何よりも大切になるのです。
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  この人生の方程式は、私が京セラという会社をつくったごくごく初期の頃に考えついて、社員に話し始めたものです。現在では第2章第6節「人生を考える」と いう節の一番に書いていますけれども、どちらかといいますと、この方程式は京セラフィロソフィの最も根幹をなすものと言っても過言ではなかろうと思いま す。今日、大会の経営体験発表に当り、お二人がこの方程式を使ってお話をされましたところをみても、また私自身が今日まで経営して来ました中でも、この方 程式は最も大事な京セラフィロソフィの根幹をなすものだと思っております。

 親戚のおじさんの人生観とその結果
 ご承知の通り、 私は22、23歳まで鹿児島で育ち、大学も鹿児島で、その後就職のために京都に出てきました。当時はまったくの田舎者です。大学時代、先生とも鹿児島弁で 喋っておりましたし、標準語すら喋られない、まともに喋ったことがない。若干大学で勉強をし、成績は優秀なほうだったとはいえ、田舎大学で成績がいいと いっても、全国レベルでは決して高いほうではなかったと思います。そういう中で、何とか一生懸命生きていく為にはどうすればいいか。子供の頃はガキ大将 だったせいもあって、負けず嫌いでもあった私は、京都に出てきた頃よくそういう事を考えていました。
 自分はそんなに優れた能力を持っているとは 思えないけれども、そういう人が立派な仕事をするのには、何か他にファクターがあるのではないかと考えている時に、最初に気が付いたのが「熱意」でした。 熱意が大変大事であろうと気付き、その次に「考え方」が大事ではないかというふうに考えつきました。
 考えついたきっかけは、────よく冗談め かして話していますが、子供の頃親戚や知合いのおじさんなどがよく家に遊びに来ていました。鹿児島のことですから焼酎を飲んだりしますが、大体鹿児島の男 は大言壮語する人が多く、おじさんなどが大きなことを言うのです。そういう偉そうなことを言うおじさんに限って、たとえば鹿児島で知事をやっている人、ま たは鹿児島から出ている国会議員の人を呼び捨てにして、「いや、アイツはもう────」と言います。何を言うのかと思ったら、当時の知事や国会議員の名前 を挙げて、「○×君はな、アイツは小学校の頃はオレよりもデキが悪くて、やっと中学に行ってな。オレは貧乏だったから行けなかったけれども」と小馬鹿にし 始める。つまり、自分は今の知事をやっている人よりも遙かに優秀だったのだということを、そのおじさんが得々と喋るわけです。
 身内のおじさんが 偉いという話ですから、気持ちよく聞けるのですが、「なんで偉かったおじさんが、大した仕事もしないでチョコチョコと私の家に来て、焼酎飲んでは大ボラを 吹いているのだろう。一方、デキの悪かったという人が社会的にも立派な知事をやっている。何でだろう?」と、子供心にも何かおかしいなと思っていました。
  たしかに小学校の頃、能力から言えばおじさんのほうが偉かったかもしれないけれど、いつもオレは頭がよかったのだと鼻にかけ、努力を怠ったおじさんはくだ らん男になってしまった。一方、小学校の頃はおじさんより頭がよくなかったかもしれないけれども、努力をしたから、あの人は偉くなったのではないだろうか
  それは後になって気が付いたのですが、そのおじさんはこんな事も言っていました。私が小学校の頃ですが、ある時自分は遊んでいることを正当化するために 「隣のバカは起きて働く」と言ったのです。「オレは賢いから寝ていてもいいけれども、隣のバカは起きて働く」。つまり、隣のバカは人が寝ている時でも起き て働かなければいけないと軽蔑しているわけです。
 子供心にもおかしいなと思いました。起きて働く人のほうが偉いのではないかと思うのに、おじさ んの価値観からいくと、あれは頭が悪いから人の何倍も働かなきゃならないんだとなる。そういう意味で、隣のバカは起きて働くという表現をしたのを聞いて、 たいへん驚いた覚えがあります。
 そういうものが子供心にずっとたまっていたこともあって、この方程式ができていったわけです。その中で一番大事なのは「考え方」であり、考え方が非常に大きく影響することに気が付いて、この方程式を作ったのです。

 プラス指向かマイナス指向か。水平線上にある人生の分かれ道
  この方程式では、能力と熱意はゼロから100までとなっています。しかし考え方だけはマイナス100からプラス100までとなっています。 この「考え 方」というものは、人生を歩くための方向みたいなものだと考えてもらえばいいと思います。ですが、これは東西南北というような方向を言っているのではなく て、水平線の方向です。ゼロを基点にして、こちらに100、あちらに100というわけです。つまり、水平線の方向しか人生には方向がないという事です。 どっちのほうへ向いて歩いても、人生は色々あるんだろうとお考えかもしれませんがそうではなく、人生というのは水平線になっていて、プラスの方向の考えで 歩くか、マイナスの考えで歩くか、そういう単純な方向しかないのです。
 そして、その考え方がプラス10なのか、20なのか、50なのか、100 なのか。それともマイナスの10なのか、20なのか、30なのか。この方程式は掛け算になっていますから、たとえば頭がよくて運動神経も発達し、非常に能 力のレベルの高い人が熱意を持ち、誰にも負けない努力をして頑張る。ですが、その人がもしマイナスの方向の考え方をしていた、ごくごくマイナスの10とい う考え方をしていたとしたら、掛け算ですからその場合には答えは全部マイナスになってしまいます。つまり、人生の結果が全部マイナスになってしまうわけで す。
 ですが、どういう考え方をすればプラスなのか、どういう考え方をすればマイナスなのか、そういうことは誰も論じていません。

  福沢諭吉が説く企業人にも現れる人生の方程式
  実はこの方程式を作って、社員に「考え方が大事です。考え方によって、どうも人生は決まるようです」という話をよくしていたのですが、あるとき福沢諭吉の 言葉に触れて、なるほどと思いました。明治の始まりの頃、福沢諭吉は欧米の資本主義諸国を見てまわります。そのときに資本主義の国々で感じた経営者のある べき姿について、福沢諭吉が言った言葉です。経営者のあるべき真髄というものを、福沢諭吉は見抜いていたのだなと思って、心から賛同した言葉です。

思想ノ深遠ナルハ哲学者ノ如クニシテ
心術ノ高尚正直ナルハ元禄武士ノ如クニシテ
コレニ加ウルニ小俗吏ノ才ヲ以テシ
サラニコレニ加ウルニ 土百姓ノ身体ヲ以テシテ
初メテ実業社会ノ大人タルベシ

 皆さんもご承知だと思いますが、実業社会の大人、実業界で立派な経営者だと言われるほどの人はこういう人だと、福沢諭吉は言っているのです。
  哲学者のような深い思想を持っていること。あの元禄武士が忠と義を果たしていったように、誠に高尚で正直な心根を持っていること。小俗吏というのは木っ端 役人、俗物の小役人のことを言います。賄賂を取ったり、悪いことをして権力をひけらかしておった明治新政府の木っ端役人、悪い役人のことを指しているわけ ですが、そういう悪賢い木っ端役人が持っているような才能を持っていること。つまり頭が切れるから悪さをするのです。そういう小俗吏の才を持っているこ と。さらに、これに加えて土百姓の身体をもってして初めて実業社会の大人たるべしと、福沢諭吉は喝破しているわけです。
 福沢諭吉の言葉は、その ままこの方程式に当てはまります。土百姓の身体、頑健な身体は、誰にも負けない努力をすることに耐えうる「熱意」にあたります。小俗吏の才は「能力」にあ たります。放っておけば悪さをしかねまじき才能、それが能力です。つまり、我々が経営で使う商才であります。そして「考え方」にあたるものが、「思想の深 遠なるは哲学者のごとくにして、心術の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして」という部分です。素晴らしい哲学者が持つような思想を持ち、かつ同時にあの 元禄武士が持っていたような素晴らしい心根を持っていなければならない。福沢諭吉がそう表現をしているのを知り、「考え方」「熱意」「能力」の三つの要素 がたいへん大事だということを改めて思い直し、それが掛け算で掛かるのだということを私は言い続けてきたわけです。

 マイナス方向の考え方で生きれば、人生の結果はマイナスになる
 実は当初、私はこの三つの要素は足し算にしてもいいのではないかと考えたりしましたが、これはどうしても掛け算でなければならないのです。
  こういう例を挙げてはよくないのかもしれませんが、昨日一昨日のテレビに、赤軍のよど号ハイジャック事件の犯人のニュースが流れていました。北朝鮮に脱出 をし、その後確かベトナムかカンボジアで外国為替法違反で捕まった田中という人が日本で裁判を受けるかどうかという問題で、タイ国の警察に捕まっている様 子がテレビに映っていました。たぶん年齢は60近いのではないかと思います。
 ここにおられる塾生の方々のなかにも、若い頃、燃えるような正義感 から「世の中はたいへん不平等で矛盾に充ちている。この腐敗した世の中を改革しなければならない」というので左翼思想に憧れ、実践しようとされた方がたく さんおられると思います。私自身もそのひとりです。純粋な青年らしい正義感に燃えて、矛盾する世の中をよくしたい、不平等な世の中から、みんなが楽しく過 ごせるような平等な社会にしたい、と思った人はたくさんおられると思います。そういう思いを抱いたなかの一派の人達が過激に走って日本赤軍を結成し、テ ロ、武力革命でもって世の中を変えていこうとした。それがあの赤軍というものです。
 能力もあり、熱意もあり、そして世の中を立派にしていきた い、住みやすい、社会正義の通る世の中にしていきたいと考えた。そこまではいいのですが、それを実行するのにテロや武力革命を行った場合には、必ず被害を 被る人達が出てきます。自分の主義主張に合わない人を殺してでも、主義主張に合わない人を蔑ろにしても、自分の思いを実現したいというものがベースにあっ た場合には、────貧乏人のひがみまで含めて、その恨みを晴らすかのような形でもって革命を行なってでも、そういうブルジョアを殺してでも、世の中をい いものにしていきたいとなった場合には、動機の一部は正しいかもしれませんが、考え方としてはマイナスであります。
 しかし、それほど大きな武力 革命をしたわけでもない。何千人、何万人というブルジョアを殺したわけでも何でもない。人を殺したのではなしに、ただ日航機をハイジャックしただけ。そん な悪いことをしたわけではないかもしれませんが、マイナスという考え方が掛かっただけに、あれ以後約40年、日陰者として逃避行に次ぐ逃避行。そして今、 50ヅラを下げて、タイ国の警察に捕まって留置され、もし日本に送還されても、日本で長期間の裁判が始まるでしょう。一生を、自分のたった一回しかない人 生を、若い頃には正義感にあふれた、素晴らしい能力もあり、熱意もある好青年であったであろう人が、人相までもがおかしくなってしまい、一生を棒に振ろう とされている。たった一回しかない人生をマイナスにしてしまうわけです。そういう事実を見ても、私はこの方程式はたいへん大事なものだと思っています。

成功するまで諦めない

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稲盛塾長の講話から
成功するまで諦めない*************
第2章第5節「困難に打ち勝つ」

 成功するかしないかは、その人のもっている熱意と執念に強く関わっています。何をやっても成功しない人には熱意と執念が欠けているのです。体裁のいい理由をつけ、自分を慰め、すぐ諦めてしまうのです。
  何かを成し遂げたいときには、狩猟民族が獲物を捕らえるときのような手法をとることです。つまり、獲物の足跡を見つけると、槍一本をもって何日も何日も追 い続け、どんなに雨風が吹こうと、強敵が現れようと、その住処を見つけ、捕まえるまでは決して諦めないというようないき方です。
 成功するには、目標達成に向かって粘って粘って最後まで諦めずにやり抜くということが必要です。
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  前にもお話をしたことがありますが、京セラでは、研究開発をこのような考え方で進めてきました。私がまだ40代の初めだった頃、ある日本の大手電機メー カーの研究職の方々に、私は京セラの研究のあり方についてお話をする機会がありました。質疑応答になったとき、「私どもの会社ではこれぐらいの確率で研究 を成功させていますが、京セラではどうですか」という質問がありました。「京セラでは手がけた研究は100%成功させています」と答えましたら、そういう ことはありうるわけがないと、皆さん怪訝な顔をされてお笑いになりました。
 「京セラで研究開発をします時には、その研究が成功するまでやりますので、研究開発が失敗に終ったということはそうはございません。成功するまで研究を続けるのが、私どもの研究の仕方なのです」。
  そのように申し上げたことを覚えています。研究開発だけではなく、事業でもそうです。成功するまであきらめないということは非常に単純なことのようです が、たいへん大事なことなのです。もちろん、研究の場合にはそれが成功したか失敗したか、ハッキリ白黒がつきますけれども、事業経営の場合には、潰れれば 別ですが、どこまでが成功で、どこまでが失敗なのか、成功にもいろんな段階があるだけにハッキリしないかもしれません。しかし、いずれにしても我々経営者 は、「私はこういう会社にしたい」という強い願望を抱いて会社を始めるわけですから、その規模になれば成功で、そこに満たない場合には成功していないと考 えればいいと思います。ですから、自分が立てた目標まで、あきらめないで粘って粘って頑張っていく。そういうことがたいへん大事だと思っています。
  この説明のなかに「狩猟民族が獲物を捉えるときのような手法をとることです」という表現がありますが、私が「成功するまであきらめない」ということをフィ ロソフィのなかで強く言っていた当時、テレビか何かでアフリカ原始民族の、腰ひもだけをつけた裸の若い青年が自分の家族のために獲物を獲りにいくシーンが ありました。
 家族を飢えから救うために狩りに出かけるのですが、その中でめざとく獲物である獣の足跡を見つけ、その足跡から獲物がどのくらい前 にそこを通ったのかを鋭く見分けて、その跡を追跡していく。動物はいろいろと行動をしながら、必ず休息をとります。その休息をとっているところにまで追跡 して仕留める。そのようなフィルムでしたが、それを見た時に、私が言っている「成功するまであきらめない」というのは、まさにこのことなんだと思いまし た。つまり、獲物が住処で休息をとり、寝ているところまで辿り着いて、手槍一本で仕留める。そこまで粘って粘っていきさえすれば、必ず成功するはずだと 思ったわけです。
 しかし、その映像を見て、成功するまであきらめないということを考えたのではありません。元々から成功するまであきらめないということがフィロソフィのなかにあって、その一番いい説明の方法として、テレビの映像にヒントを得たわけです。

  「余裕のある経営」を前提とする
  私は会社をつくってから今日まで、研究開発にしろ新規事業の立ち上げにしろ、多角化で新しい仕事をするにしろ、すべてこの「成功するまで諦めない」という 姿勢でやってきました。言ってみれば簡単なことで、京セラでは成功するまで諦めずに粘ってやりますから、全部成功するわけです。
 しかしそのなかで非常に重要なことは、「土俵の真ん中で相撲をとる」「余裕のある経営をする」ということです。つまり、余裕のある経営が要るということなのです。
  余裕のある経営ということでは、ある講演会で松下幸之助さんが仰った言葉に、私が非常に感銘を受けたという話をしたことがあります。それは松下幸之助さん の「ダム式経営」の話ですが、いっぱい雨が降って、それがそのまま川に流れ込めば洪水になり、川が氾濫し、たいへんな災害を招く。それをダムで一度堰き止 めて、そのダムにいっぱい水を溜めて、それを適当な量ずつ川へ放流していけば、川の水は絶えることもないし、雨がたくさん降ったときに水を貯めたことが余 裕となって、非常にいい河川の運営ができる。事業経営の場合でも景気の変動がありますから、ダムをつくり、一定の必要量だけずつ放流をしていく。そういう ダム式経営というものが要りますよ、余裕のある経営をすべきですよというお話を聞いて、私はたいへんな感銘を受けました。
 つまり、余裕のある経営をしていないと、成功するまで諦めないという手法は使えないのです。成功するまで諦めないということを実行しようと思えば、必ずその裏側には、余裕のある経営をしているということが前提として必要になってくるのです。
  それは、たとえば先ほど言いましたアフリカの原始狩猟民族の場合でも同じです。その民族の男性が軽い狩をしに行くとしましょう。家族を当面養うだけの小さ な獲物でも獲りに行こうと、何も準備をしないで出ていったとします。飲まず食わずでは精々1日か1日半ぐらいしか行動はできないでしょう。せっかく獲物の 足跡を見つけて辿っていったけれども、結局はその住処に辿り着けないまま、自分の村にまで帰らざるをえなくなります。
 そのときに、たとえば水を 入れた竹筒を腰に巻き、一方、以前獲った獲物の干し肉を腰にぶら下げていれば、それをかじりながら3日も4日も獲物の足跡を追っかけていくことができま す。どんな獲物でも3日、4日、ほんの昨日通った獲物の足跡を辿っていきさえすれば、獲物も不眠不休で動くわけはありません。必ず住処で寝込んでいるとこ ろに辿り着きます。つまり、3日4日、執拗に獲物を獲るまで追いかけていける余裕をつけていきさえすれば、必ず獲物は仕留められるわけです。
 研 究開発をするにしても、成功するまで諦めないとは言うものの、やはり研究開発にはお金が要ります。そして余裕がなければ、何年も何年も研究開発に資金を投 ずることはできません。そういう意味では、研究開発を維持していく為には本業で稼いで利益を出し、研究開発費用を使っても十分にやっていけるという余裕が なければ、この成功するまで諦めないという項目はなしえないわけです。
 「成功するまで諦めない」という項目は非常に単純なことですが、これは成功するためのエッセンスなのです。誰でもできるので、みんなが成功者になりうるのですが、成功するまで粘ってやれる余裕が要るということです。

 余裕がなくても、身体さえあれば
 では、元からそういう余裕がなければやれないのかというと、そうでもありません。
 たとえば、ある人が私のところに相談に来られて、こうこうこうやって一生懸命頑張ってきたけれども、資金繰りその他がつかなくなって、いよいよもうあきらめざるをえません、という話をされたとしましょう。
 「持っている物も全部売りました。乗っていた車も自分の家も売りました。今は家族と共にアパートに引っ越しています。そこまでになってしまったので、もう諦めざるを得ません」
 私はそういう話を黙って聞いておって、いや、まだあるのにな、と思うのです。
  「あなたのお商売ぐらいでしたら、車に乗らなければ商売ができないということではないではありませんか。自転車があるではありませんか。自転車で朝から晩 までこぎまわって、注文取りに歩けばいい。あなたは商社みたいな仕事をしていらっしゃるのだから、何もそれで最後ではないではありませんか」
  今、余裕がなければならんということを言いましたけれども、同時に身体だけあれば、まだ諦めないで頑張れる仕事だっていくらもあるわけです。最後まで諦め ないというのは、どういう状態なのかによってそれぞれ違ってくるのです。もう家も売った、自動車も売った、もうダメだと思うのか。それとも、まだ自転車が あるではないか、いや、電車に乗ってでも注文取りに行こうかと考えるのか。諦めないということは、個人によっていろいろ違ってくるのです。成功する為にこ の項目は大変大事で、ぜひ心していただきたい項目です。
稲盛塾長の講話より

 私は京セラという会社を経営してこんにちまで、人がやったことのないことをやってきました。同時に、私自身も常に新しいことをやってきました。
 今日の67歳まで、いつも知らない道、新しい道を歩いてきました。
 そういう知らない道を歩かなきゃなりませんから、非常に用心深く、いろんなことを考えて考えるということが習い性になっているんです。
 しょっちゅうシミュレーションをして歩いていくという生き方をしてきました。特に、今まで京セラで新しい事業を展開しようというときには、必ずといっていいくらい、考え抜いて考え抜いてきました。
  「シミュレーションを繰り返していると、ついには夢と現実との境がなくなり、まだやってもいないことまでもが、あたかもやれたかのように感じられ」という 一文がありますように、まだやってもいない、手がけてもいないのに、あたかも「やれた」かのように感じられる、夢と現実の境がなくなってくるぐらいに考え 抜く。そういうことをやってきたために、一度踏み出して、やり始めますと、そう不安がありません。過去にやったことがないくせに、一度通った道みたいに思 えて、どんどん、歩めるのです。
 私は第二電電という会社をつくりました。私はセラミックの専門家で、電気通信の専門家ではありません。それでも あえて自分の専門ではない道に入り込んでいこうと思ったのは、専門外の道に入り込んで成功するとすれば、私が持っている経営哲学、フィロソフィが正しいか どうかどうかの証明になる、と思ったからなんです。
 皆さんに今話をしています、京セラフィロソフィの一つひとつの項目は、まさにエッセンスなんですよ。
  みんな、専門的で、その分野に精通し、素晴らしい能力を持っていなければ事業はできないと思っていますけれども、私は経営の在り方、根本になるべき「経営 哲学」が一番大事であって、それを持っていさえいれば経営はうまくいくのではないかと、実は秘かに思っていたんです。私は京セラという会社をつくり、京セ ラフィロソフィをベースに経営をしてきました。
 世間は私に言います。「稲盛さんはセラミックの優秀な技術屋ではありますが、セラミックの時代になったので、時流に乗ってうまくいったんですわ」と。みんながそう言いました。
 たしかにその一面はあるかもしらんけれども、京セラが成功した大半の要因は、立派な経営哲学を築き上げたからではないかと私は思っておりました。
 ですから第二電電を始めるとき、

  通信についてはまったくの素人です。通信をわかっている人を採用し、その人達を私のスタッフに入れるけれども、私は第二電電の経営を哲学で、いわゆる京セ ラフィロソフィでもって経営してみる。もしこれが成功すれば、いかに経営のなかでフィロソフィ、経営哲学が大事なのか、その証明になるはずだ。もし失敗す れば、たしかに経営哲学だけでは経営できないという証明にもなる。だから、やってみる。

 そう言って始めたわけです。
 こんにち、第二電電が素晴らしい会社になっていったことを見ますと、今講義をしているフィロソフィは、経営の宝のなかの宝だと思います。

  私が第二電電を創業したとき、私は専門家でもないくせに、今の「見えてくるまで考え抜く」ということをやりました。来る日も来る日もずうっと考え抜きまし た。第二電電を始める前は、ご承知のように「動機善なりや、私心なかりしか」と自問自答しましたけれども、いよいよ踏み切ろうとなってからは、第二電電を どうしていくか、本当に考え抜いていきました。
 私は専門家ではないのに、専門のスタッフの連中の意見を聞きながら、自分でシミュレーションをし ていきました。何回も何回も考えて考え抜いているうちに「うまくいく」というふうになって、やがて夢なのか現実なのか訳がわからなくなって自信まで出てく る。まだやってもいないのに、です。
 そして、いよいよ第二電電が始まるというときに森山信吾という人に社長をやってもらいました。その時私は次のように言いました。
  「あなたは官僚の世界で名を遂げて、エネルギー庁長官にまでなり、私のところにきてくれて新しい事業をやるという。それも場違いの通信事業をやるという。 もしこれが成功すれば、役人生活とは違うまったく新しい仕事で成功することになります」「私はこの第二電電を上場させていくつもりです。ベンチャー企業で 壮大な通信事業を興し、それを上場まで持っていった人は、おそらく役人ではおらんはずです。そういうことをあなたにしてもらおうと思うんです」
 そうして、森山さんに第二電電の社長を引き受けてもらいました。
 当時、通産省の幹部で、資源エネルギー庁の長官までやったとなれば、いろんなところで接待を受けたり、チヤホヤされていたはずです。ところがウチへ来れば、そういうことはできません。
 私は森山さんに「今度の事業はベンチャーですから、交際費等はありませんよ!」
「成功したら、自分で稼いだお金で交際費を使ってもいいですよ。」と言いました。
 森山さんは非常に頑張ってくれました。そして1年経ち、2年経ち、段々と苦しい、状況は我に利あらず。JRの日本テレコムが出てき、一方では日本高速通信が出てきました。
 我々はやむを得ず山に鉄塔を建てて、無線でネットワークを張りつめなければならない。悪戦苦闘です。本当にこれでもって同業者と互角に戦えるだろうかと悩み、どうかすると森山さんが弱音を吐く。
 そんな時私は森山さんを連れて一杯飲みに行き次のように言いました。っ
 「何であなた、弱音を吐くのですか」「第二電電は今後こうなって、ああなってそして上場までいくんですよ」という話をしました。
 そういうことを言って、5年間、6年間かけて上場していくシミュレーションを森山さんにずうっと話してきました。そしてその通りの道を辿ってきました。
  自分でも恐ろしいような感じです。会社の規模も、売上げも、進捗状況も全部その通りでした。そして最初にシミュレーションしたのと同じ時期に上場しまし た。残念ながら、それまでに森山信吾さんは脳内出血で倒れて亡くなってしまわれたのですが、私が会長兼社長に復帰して、陣頭指揮をとって上場まで持ってい きました。
 森山さんを励ましながら、私はよく「あなた、何を言っている。最初に言ったでしょ。今苦しいのも最初から承知の上の問題であって、こ うなってああなって、こうして上場していくんですよ」と言いました。それはウソで言ったのではなしに、当然そうなるものだと自分で思い込んでいたんですか ら。NTTが民営化され、新しい新電電ができた。明治以来、国営でやってきた仕事に民間で初めて出ていくにも関わらず、あたかも一度通った道であるかの如 く、こうしてああして、こうなっていくということが読めておった。それは、そこまで考え抜くといいますか、シミュレーションするということが、そういうも のを作っていったような感じがします。

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