人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

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稲盛塾長の講話より
 
第6節「人生を考える」に入ります。最初の項目は、「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」です。この方程式は最初の頃、「能力×熱意×考え方」と書いていました。ところが後になってから、一番大事な「考え方」を最初に書くようになってまいりました。
 「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という項目について、京セラフィロソフィでは次のように書いています。

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力****
第2章第6節「人生を考える」

 人生や仕事の結果は、考え方と熱意と能力の三つの要素の掛け算で決まります。
  このうち能力と熱意は、それぞれ0点から100点まであり、これが積で掛かるので、能力を鼻にかけ、努力を怠った人よりは、自分には普通の能力しかないと 思って誰よりも努力した人のほうがはるかに素晴らしい結果を残すことができます。これに考え方が掛かります。考え方とは生きる姿勢であり、マイナス100 点からプラス100点まであります。考え方次第で人生や仕事の結果は180度変わってくるのです。
 そこで能力や熱意とともに、人間としての正しい考え方をもつことが何よりも大切になるのです。
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  この人生の方程式は、私が京セラという会社をつくったごくごく初期の頃に考えついて、社員に話し始めたものです。現在では第2章第6節「人生を考える」と いう節の一番に書いていますけれども、どちらかといいますと、この方程式は京セラフィロソフィの最も根幹をなすものと言っても過言ではなかろうと思いま す。今日、大会の経営体験発表に当り、お二人がこの方程式を使ってお話をされましたところをみても、また私自身が今日まで経営して来ました中でも、この方 程式は最も大事な京セラフィロソフィの根幹をなすものだと思っております。

 親戚のおじさんの人生観とその結果
 ご承知の通り、 私は22、23歳まで鹿児島で育ち、大学も鹿児島で、その後就職のために京都に出てきました。当時はまったくの田舎者です。大学時代、先生とも鹿児島弁で 喋っておりましたし、標準語すら喋られない、まともに喋ったことがない。若干大学で勉強をし、成績は優秀なほうだったとはいえ、田舎大学で成績がいいと いっても、全国レベルでは決して高いほうではなかったと思います。そういう中で、何とか一生懸命生きていく為にはどうすればいいか。子供の頃はガキ大将 だったせいもあって、負けず嫌いでもあった私は、京都に出てきた頃よくそういう事を考えていました。
 自分はそんなに優れた能力を持っているとは 思えないけれども、そういう人が立派な仕事をするのには、何か他にファクターがあるのではないかと考えている時に、最初に気が付いたのが「熱意」でした。 熱意が大変大事であろうと気付き、その次に「考え方」が大事ではないかというふうに考えつきました。
 考えついたきっかけは、────よく冗談め かして話していますが、子供の頃親戚や知合いのおじさんなどがよく家に遊びに来ていました。鹿児島のことですから焼酎を飲んだりしますが、大体鹿児島の男 は大言壮語する人が多く、おじさんなどが大きなことを言うのです。そういう偉そうなことを言うおじさんに限って、たとえば鹿児島で知事をやっている人、ま たは鹿児島から出ている国会議員の人を呼び捨てにして、「いや、アイツはもう────」と言います。何を言うのかと思ったら、当時の知事や国会議員の名前 を挙げて、「○×君はな、アイツは小学校の頃はオレよりもデキが悪くて、やっと中学に行ってな。オレは貧乏だったから行けなかったけれども」と小馬鹿にし 始める。つまり、自分は今の知事をやっている人よりも遙かに優秀だったのだということを、そのおじさんが得々と喋るわけです。
 身内のおじさんが 偉いという話ですから、気持ちよく聞けるのですが、「なんで偉かったおじさんが、大した仕事もしないでチョコチョコと私の家に来て、焼酎飲んでは大ボラを 吹いているのだろう。一方、デキの悪かったという人が社会的にも立派な知事をやっている。何でだろう?」と、子供心にも何かおかしいなと思っていました。
  たしかに小学校の頃、能力から言えばおじさんのほうが偉かったかもしれないけれど、いつもオレは頭がよかったのだと鼻にかけ、努力を怠ったおじさんはくだ らん男になってしまった。一方、小学校の頃はおじさんより頭がよくなかったかもしれないけれども、努力をしたから、あの人は偉くなったのではないだろうか
  それは後になって気が付いたのですが、そのおじさんはこんな事も言っていました。私が小学校の頃ですが、ある時自分は遊んでいることを正当化するために 「隣のバカは起きて働く」と言ったのです。「オレは賢いから寝ていてもいいけれども、隣のバカは起きて働く」。つまり、隣のバカは人が寝ている時でも起き て働かなければいけないと軽蔑しているわけです。
 子供心にもおかしいなと思いました。起きて働く人のほうが偉いのではないかと思うのに、おじさ んの価値観からいくと、あれは頭が悪いから人の何倍も働かなきゃならないんだとなる。そういう意味で、隣のバカは起きて働くという表現をしたのを聞いて、 たいへん驚いた覚えがあります。
 そういうものが子供心にずっとたまっていたこともあって、この方程式ができていったわけです。その中で一番大事なのは「考え方」であり、考え方が非常に大きく影響することに気が付いて、この方程式を作ったのです。

 プラス指向かマイナス指向か。水平線上にある人生の分かれ道
  この方程式では、能力と熱意はゼロから100までとなっています。しかし考え方だけはマイナス100からプラス100までとなっています。 この「考え 方」というものは、人生を歩くための方向みたいなものだと考えてもらえばいいと思います。ですが、これは東西南北というような方向を言っているのではなく て、水平線の方向です。ゼロを基点にして、こちらに100、あちらに100というわけです。つまり、水平線の方向しか人生には方向がないという事です。 どっちのほうへ向いて歩いても、人生は色々あるんだろうとお考えかもしれませんがそうではなく、人生というのは水平線になっていて、プラスの方向の考えで 歩くか、マイナスの考えで歩くか、そういう単純な方向しかないのです。
 そして、その考え方がプラス10なのか、20なのか、50なのか、100 なのか。それともマイナスの10なのか、20なのか、30なのか。この方程式は掛け算になっていますから、たとえば頭がよくて運動神経も発達し、非常に能 力のレベルの高い人が熱意を持ち、誰にも負けない努力をして頑張る。ですが、その人がもしマイナスの方向の考え方をしていた、ごくごくマイナスの10とい う考え方をしていたとしたら、掛け算ですからその場合には答えは全部マイナスになってしまいます。つまり、人生の結果が全部マイナスになってしまうわけで す。
 ですが、どういう考え方をすればプラスなのか、どういう考え方をすればマイナスなのか、そういうことは誰も論じていません。

  福沢諭吉が説く企業人にも現れる人生の方程式
  実はこの方程式を作って、社員に「考え方が大事です。考え方によって、どうも人生は決まるようです」という話をよくしていたのですが、あるとき福沢諭吉の 言葉に触れて、なるほどと思いました。明治の始まりの頃、福沢諭吉は欧米の資本主義諸国を見てまわります。そのときに資本主義の国々で感じた経営者のある べき姿について、福沢諭吉が言った言葉です。経営者のあるべき真髄というものを、福沢諭吉は見抜いていたのだなと思って、心から賛同した言葉です。

思想ノ深遠ナルハ哲学者ノ如クニシテ
心術ノ高尚正直ナルハ元禄武士ノ如クニシテ
コレニ加ウルニ小俗吏ノ才ヲ以テシ
サラニコレニ加ウルニ 土百姓ノ身体ヲ以テシテ
初メテ実業社会ノ大人タルベシ

 皆さんもご承知だと思いますが、実業社会の大人、実業界で立派な経営者だと言われるほどの人はこういう人だと、福沢諭吉は言っているのです。
  哲学者のような深い思想を持っていること。あの元禄武士が忠と義を果たしていったように、誠に高尚で正直な心根を持っていること。小俗吏というのは木っ端 役人、俗物の小役人のことを言います。賄賂を取ったり、悪いことをして権力をひけらかしておった明治新政府の木っ端役人、悪い役人のことを指しているわけ ですが、そういう悪賢い木っ端役人が持っているような才能を持っていること。つまり頭が切れるから悪さをするのです。そういう小俗吏の才を持っているこ と。さらに、これに加えて土百姓の身体をもってして初めて実業社会の大人たるべしと、福沢諭吉は喝破しているわけです。
 福沢諭吉の言葉は、その ままこの方程式に当てはまります。土百姓の身体、頑健な身体は、誰にも負けない努力をすることに耐えうる「熱意」にあたります。小俗吏の才は「能力」にあ たります。放っておけば悪さをしかねまじき才能、それが能力です。つまり、我々が経営で使う商才であります。そして「考え方」にあたるものが、「思想の深 遠なるは哲学者のごとくにして、心術の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして」という部分です。素晴らしい哲学者が持つような思想を持ち、かつ同時にあの 元禄武士が持っていたような素晴らしい心根を持っていなければならない。福沢諭吉がそう表現をしているのを知り、「考え方」「熱意」「能力」の三つの要素 がたいへん大事だということを改めて思い直し、それが掛け算で掛かるのだということを私は言い続けてきたわけです。

 マイナス方向の考え方で生きれば、人生の結果はマイナスになる
 実は当初、私はこの三つの要素は足し算にしてもいいのではないかと考えたりしましたが、これはどうしても掛け算でなければならないのです。
  こういう例を挙げてはよくないのかもしれませんが、昨日一昨日のテレビに、赤軍のよど号ハイジャック事件の犯人のニュースが流れていました。北朝鮮に脱出 をし、その後確かベトナムかカンボジアで外国為替法違反で捕まった田中という人が日本で裁判を受けるかどうかという問題で、タイ国の警察に捕まっている様 子がテレビに映っていました。たぶん年齢は60近いのではないかと思います。
 ここにおられる塾生の方々のなかにも、若い頃、燃えるような正義感 から「世の中はたいへん不平等で矛盾に充ちている。この腐敗した世の中を改革しなければならない」というので左翼思想に憧れ、実践しようとされた方がたく さんおられると思います。私自身もそのひとりです。純粋な青年らしい正義感に燃えて、矛盾する世の中をよくしたい、不平等な世の中から、みんなが楽しく過 ごせるような平等な社会にしたい、と思った人はたくさんおられると思います。そういう思いを抱いたなかの一派の人達が過激に走って日本赤軍を結成し、テ ロ、武力革命でもって世の中を変えていこうとした。それがあの赤軍というものです。
 能力もあり、熱意もあり、そして世の中を立派にしていきた い、住みやすい、社会正義の通る世の中にしていきたいと考えた。そこまではいいのですが、それを実行するのにテロや武力革命を行った場合には、必ず被害を 被る人達が出てきます。自分の主義主張に合わない人を殺してでも、主義主張に合わない人を蔑ろにしても、自分の思いを実現したいというものがベースにあっ た場合には、────貧乏人のひがみまで含めて、その恨みを晴らすかのような形でもって革命を行なってでも、そういうブルジョアを殺してでも、世の中をい いものにしていきたいとなった場合には、動機の一部は正しいかもしれませんが、考え方としてはマイナスであります。
 しかし、それほど大きな武力 革命をしたわけでもない。何千人、何万人というブルジョアを殺したわけでも何でもない。人を殺したのではなしに、ただ日航機をハイジャックしただけ。そん な悪いことをしたわけではないかもしれませんが、マイナスという考え方が掛かっただけに、あれ以後約40年、日陰者として逃避行に次ぐ逃避行。そして今、 50ヅラを下げて、タイ国の警察に捕まって留置され、もし日本に送還されても、日本で長期間の裁判が始まるでしょう。一生を、自分のたった一回しかない人 生を、若い頃には正義感にあふれた、素晴らしい能力もあり、熱意もある好青年であったであろう人が、人相までもがおかしくなってしまい、一生を棒に振ろう とされている。たった一回しかない人生をマイナスにしてしまうわけです。そういう事実を見ても、私はこの方程式はたいへん大事なものだと思っています。

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このページは、前田が2008年8月 4日 22:57に書いたブログ記事です。

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