稲盛塾長の講話より
一般に我々は学校で、自由な発想、自由な考え方、 自由な思想を持つことこそ、我々人間に許されている人間らしい素晴らしいところなんだ。こういう考え方を持たなければならんと言われ、強制されるのは非常 におかしい。────ということを教えられてきたように思いますし、特にインテリであればあるほど、そういうことを言います。
万人、それぞれが 違った道、違った人生を歩いていく。小説の世界でも波瀾万丈の人生が描かれているし、映画もそうだ。千人おれば千人、万人おれば万人、それぞれが異なった 人生を送っている。それが社会というものであり、宇宙というものだ。どういう考え方を持つのか、どういう思想を持つのか、それはまさに自由であり、それが 自由人でありインテリである証拠なんだ────。これは現代人の基本的な考え方です。
たしかに、どんな考え方を持つのも自由でしょう。しかし、 その自由のなかでどの道を選択するかによって、実は人生、運命が決まることまでは誰も考えていなかったのです。この方程式でいえば、自由である考え方、自 由である心、自由である思想、哲学、その選び方によっては運命が180度、方向が変わってしまうのです。そのことを我々は教わっていないわけです。事ほど 左様に重大なことを、我々は重大だとは思っていませんでしたし、誰もそのことを教えてくれなかったのです。
もっと若い頃に、考え方がそれほど重大で、自分の人生をそれほど大きく決めるものなんだということを教えてくれていれば、そして今言ったような、そんな単純なことであるなら、もっと早く知っておったらと思う人は多かろうと思います。
しかし残念ながら、今言った言葉、つまり「良い心」「悪い心」として挙げた言葉は、実は宗教が説いてきたものなのです。または道徳という科目で教わってき たものです。キリスト教ではこういう行いをし、こういう考え方をすべきですよ、仏教徒はこういう考え方をすべきですと説かれているように、それは宗教や道 徳が教えてきたことです。ですが、我々近代的インテリは、宗教を忘れ、宗教を離れてこそ真のインテリだと思い、またそういう戦後教育を受けて育ってきてし まいました。
ただ、その宗教の場合にも、こういうふうに方程式みたいにして、こういう生き方をしなくちゃいけません、こういう考え方をしなきゃいけません、それがそのまま自分の人生を決めていくのですから、というところまで明確に教えてはいないのです。
たとえば仏教の場合ですと、お釈迦さまがこういう生き方をしなければ地獄に堕ちますよ、こういう生き方をすれば極楽にいきますよと仰っても、死んだ先のあ の世の荒唐無稽な話だと思って、誰もそうとは思いません。ところが私が今思うのは、それは何も荒唐無稽なあの世の話ではなくて、実はこの方程式に出てくる 「考え方」が今の人生を決めるんだということです。
実は第6節「人生を考える」という項目は、その「考え方」を解説している項目になるのです が、ここには前提があります。同じ節に「心に描いたとおりになる」という項目がありますけれども、どういう考え方をするかによって、その通りの人生が決 まっていきますから、考え方はそのまま自分の人生を大きく決めてしまうという前提があるわけです。
どんな考え方をしようと、それは知的遊び、意 識の遊びであって、またはどんなことを思おうと、どんな小説を書こうと、どんなことを考えようと、それはそれだけのことであって、それは自分の人生とは何 にもリンクしていないと、みんな思ってしまっているのです。また、そういうふうに我々は考えているわけです。そして、考え方がそのまま人生に現れる、人生 は心に描いた通りになるということを誰も信じていませんから、この方程式も信じていないわけです。ですが、この方程式の通りに人生が決まるということを、 塾生の皆さんなら、大半の方が思っておられるはずです。
一般に我々は学校で、自由な発想、自由な考え方、 自由な思想を持つことこそ、我々人間に許されている人間らしい素晴らしいところなんだ。こういう考え方を持たなければならんと言われ、強制されるのは非常 におかしい。────ということを教えられてきたように思いますし、特にインテリであればあるほど、そういうことを言います。
万人、それぞれが 違った道、違った人生を歩いていく。小説の世界でも波瀾万丈の人生が描かれているし、映画もそうだ。千人おれば千人、万人おれば万人、それぞれが異なった 人生を送っている。それが社会というものであり、宇宙というものだ。どういう考え方を持つのか、どういう思想を持つのか、それはまさに自由であり、それが 自由人でありインテリである証拠なんだ────。これは現代人の基本的な考え方です。
たしかに、どんな考え方を持つのも自由でしょう。しかし、 その自由のなかでどの道を選択するかによって、実は人生、運命が決まることまでは誰も考えていなかったのです。この方程式でいえば、自由である考え方、自 由である心、自由である思想、哲学、その選び方によっては運命が180度、方向が変わってしまうのです。そのことを我々は教わっていないわけです。事ほど 左様に重大なことを、我々は重大だとは思っていませんでしたし、誰もそのことを教えてくれなかったのです。
もっと若い頃に、考え方がそれほど重大で、自分の人生をそれほど大きく決めるものなんだということを教えてくれていれば、そして今言ったような、そんな単純なことであるなら、もっと早く知っておったらと思う人は多かろうと思います。
しかし残念ながら、今言った言葉、つまり「良い心」「悪い心」として挙げた言葉は、実は宗教が説いてきたものなのです。または道徳という科目で教わってき たものです。キリスト教ではこういう行いをし、こういう考え方をすべきですよ、仏教徒はこういう考え方をすべきですと説かれているように、それは宗教や道 徳が教えてきたことです。ですが、我々近代的インテリは、宗教を忘れ、宗教を離れてこそ真のインテリだと思い、またそういう戦後教育を受けて育ってきてし まいました。
ただ、その宗教の場合にも、こういうふうに方程式みたいにして、こういう生き方をしなくちゃいけません、こういう考え方をしなきゃいけません、それがそのまま自分の人生を決めていくのですから、というところまで明確に教えてはいないのです。
たとえば仏教の場合ですと、お釈迦さまがこういう生き方をしなければ地獄に堕ちますよ、こういう生き方をすれば極楽にいきますよと仰っても、死んだ先のあ の世の荒唐無稽な話だと思って、誰もそうとは思いません。ところが私が今思うのは、それは何も荒唐無稽なあの世の話ではなくて、実はこの方程式に出てくる 「考え方」が今の人生を決めるんだということです。
実は第6節「人生を考える」という項目は、その「考え方」を解説している項目になるのです が、ここには前提があります。同じ節に「心に描いたとおりになる」という項目がありますけれども、どういう考え方をするかによって、その通りの人生が決 まっていきますから、考え方はそのまま自分の人生を大きく決めてしまうという前提があるわけです。
どんな考え方をしようと、それは知的遊び、意 識の遊びであって、またはどんなことを思おうと、どんな小説を書こうと、どんなことを考えようと、それはそれだけのことであって、それは自分の人生とは何 にもリンクしていないと、みんな思ってしまっているのです。また、そういうふうに我々は考えているわけです。そして、考え方がそのまま人生に現れる、人生 は心に描いた通りになるということを誰も信じていませんから、この方程式も信じていないわけです。ですが、この方程式の通りに人生が決まるということを、 塾生の皆さんなら、大半の方が思っておられるはずです。

コメントする