稲盛塾長の講話です。
京セラフイロソフィー 第2章第6節「人生を考える」***********
現実は厳しく、今日一日を生きることさえ大変かもしれません。しかし、その中でも未来に向かって夢を描けるかどうかで人生は決まっていきます。自分の人生や仕事に対して、自分はこうありたい、こうなりたいという大きな夢や高い目標をもつことが大切です。
京セラをまず西の京で一番、その次に京都で一番、それから日本一、世界一の企業にしたいという大きな夢を創業時から描き続け、努力を重ねてきたことによって今日があるのです。
高くすばらしい夢を描き、その夢を一生かかって追い続けるのです。それは生きがいとなり、人生もまた楽しいものになっていくはずです。
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夢を描くということはたいへん大事なことだと思います。会社を始めた頃、私はよく従業員に夢を話して聞かせました。会社の中でも、家でも、私は「夢見る夢夫です」という表現をし、夢を追いかける青年であり続けたいと考えていた時期があります。
夢見る夢夫ですとか、夢を追いかけるロマンチックな人生でありたいと思い始めたのは、高校時代に遡ります。私が高校一年生の頃は昭和23年。敗戦から3年 しか経っていないときです。鹿児島市内は99%、空襲に次ぐ空襲で焼け野原になっていました。高校は鹿児島市内の海岸縁にあった掘っ立て小屋で、真っ正面 には桜島が噴煙をあげていました。
その時の国語の先生がたいへんなロマンチストでした。教科書もあまりなかった時代でしたから、先生は有名な作 家の小説などを題材にしながら、毎日その話をしてくれました。その中で先生は、「毎日毎日、私は恋をしています」と仰るのです。何を言い出すのかと思いま したら、「毎日、桜島を見ながら自転車で学校に通うけれども、毎日私は桜島に恋をしています。あの雄大な島影、そして毎日のようにもくもくと吹き上げる噴 煙。あの情熱に憧れています。私は桜島に恋をしています」と。
あの食糧もない敗戦直後の戦災の焼け跡の中で、先生は明るくロマンチックに、毎日毎 日素晴らしい夢を描き、私達に夢と勇気を与えてくれました。その先生の影響だろうと思いますが、私も人生はなるべく楽しく、明るく、希望にあふれた夢を描 いていくべきだと思いましたし、またそういうことをその先生から教えられたようにも思います。
皆さんもご承知だと思いますが、私の若い 時の人生は大変暗いものでした。小学校の高学年で結核になり、死にかける。旧制中学では二度も受験に失敗するし、大学受験も失敗をする。大学を出て就職を する時もいい会社に就職ができなかった。挫折に継ぐ挫折の青少年時代であったわけです。にも関わらず、暗くならないで、ひがまないで、人生を誤ることのな かったのは、常に明るく希望にあふれた、その先生の影響が大きかったからだと思っています。
どんなに現実が冷たく暗かろうとも、自分の心まで病 むようなことはしない。そして常に明るく希望にあふれた夢を描いていく。あの暗くて灰色であった青少年時代でも夢を忘れず、自分の人生に明るい希望を燃や し続けていた事が、実社会に出てから私が素晴らしい人生を歩くもとになっていったのだと思いますし、またそれがあったからこそ、私の今日があるのだと思っ ております。
自分の心に夢を描いていきさえすれば、きっとその夢は現実になります。そのことを、この項目で申し上げたかったのです。そして、こ の「夢を描く」ということも、人生の方程式にある考え方を具体的に示したものです。つまり、考え方の中に素晴らしくロマンチックな、素晴らしい夢を描け ば、その通りになるのだということを、ここでも言っているわけです。
ただし、夢という場合には、それは漠然とした明るい夢でいいんですが、事業を しています我々の場合には、もっと現実的な企業経営の目的だとか、また目標数字だとか、そういう具体的なものに置き換えたほうがいいかもしれません。そし て、その夢をリアルに、たとえばこういう売上にしたい、こういう利益にしたい、こういう雰囲気の会社にしたい、そういうリアルな数字や目標をハッキリ描い て夢を作り上げることも必要ではないかと思います。そういうことまで考えてやっていだたければ、その通りの会社ができると私は信じております。
次 の項目は、「動機善なりや、私心なかりしか」です。これはもう、今日お見えになっていらっしゃる塾生の方々はみんな、いろんな人生の局面でお使いになって おられることと思います。人生の方程式の中にある考え方は、まさにこの「動機善なりや、私心なかりしか」というもので構成された考え方でなければならない という意味から言っても、たいへん大事な項目です。
京セラフイロソフィー 第2章第6節「人生を考える」***********
現実は厳しく、今日一日を生きることさえ大変かもしれません。しかし、その中でも未来に向かって夢を描けるかどうかで人生は決まっていきます。自分の人生や仕事に対して、自分はこうありたい、こうなりたいという大きな夢や高い目標をもつことが大切です。
京セラをまず西の京で一番、その次に京都で一番、それから日本一、世界一の企業にしたいという大きな夢を創業時から描き続け、努力を重ねてきたことによって今日があるのです。
高くすばらしい夢を描き、その夢を一生かかって追い続けるのです。それは生きがいとなり、人生もまた楽しいものになっていくはずです。
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夢を描くということはたいへん大事なことだと思います。会社を始めた頃、私はよく従業員に夢を話して聞かせました。会社の中でも、家でも、私は「夢見る夢夫です」という表現をし、夢を追いかける青年であり続けたいと考えていた時期があります。
夢見る夢夫ですとか、夢を追いかけるロマンチックな人生でありたいと思い始めたのは、高校時代に遡ります。私が高校一年生の頃は昭和23年。敗戦から3年 しか経っていないときです。鹿児島市内は99%、空襲に次ぐ空襲で焼け野原になっていました。高校は鹿児島市内の海岸縁にあった掘っ立て小屋で、真っ正面 には桜島が噴煙をあげていました。
その時の国語の先生がたいへんなロマンチストでした。教科書もあまりなかった時代でしたから、先生は有名な作 家の小説などを題材にしながら、毎日その話をしてくれました。その中で先生は、「毎日毎日、私は恋をしています」と仰るのです。何を言い出すのかと思いま したら、「毎日、桜島を見ながら自転車で学校に通うけれども、毎日私は桜島に恋をしています。あの雄大な島影、そして毎日のようにもくもくと吹き上げる噴 煙。あの情熱に憧れています。私は桜島に恋をしています」と。
あの食糧もない敗戦直後の戦災の焼け跡の中で、先生は明るくロマンチックに、毎日毎 日素晴らしい夢を描き、私達に夢と勇気を与えてくれました。その先生の影響だろうと思いますが、私も人生はなるべく楽しく、明るく、希望にあふれた夢を描 いていくべきだと思いましたし、またそういうことをその先生から教えられたようにも思います。
皆さんもご承知だと思いますが、私の若い 時の人生は大変暗いものでした。小学校の高学年で結核になり、死にかける。旧制中学では二度も受験に失敗するし、大学受験も失敗をする。大学を出て就職を する時もいい会社に就職ができなかった。挫折に継ぐ挫折の青少年時代であったわけです。にも関わらず、暗くならないで、ひがまないで、人生を誤ることのな かったのは、常に明るく希望にあふれた、その先生の影響が大きかったからだと思っています。
どんなに現実が冷たく暗かろうとも、自分の心まで病 むようなことはしない。そして常に明るく希望にあふれた夢を描いていく。あの暗くて灰色であった青少年時代でも夢を忘れず、自分の人生に明るい希望を燃や し続けていた事が、実社会に出てから私が素晴らしい人生を歩くもとになっていったのだと思いますし、またそれがあったからこそ、私の今日があるのだと思っ ております。
自分の心に夢を描いていきさえすれば、きっとその夢は現実になります。そのことを、この項目で申し上げたかったのです。そして、こ の「夢を描く」ということも、人生の方程式にある考え方を具体的に示したものです。つまり、考え方の中に素晴らしくロマンチックな、素晴らしい夢を描け ば、その通りになるのだということを、ここでも言っているわけです。
ただし、夢という場合には、それは漠然とした明るい夢でいいんですが、事業を しています我々の場合には、もっと現実的な企業経営の目的だとか、また目標数字だとか、そういう具体的なものに置き換えたほうがいいかもしれません。そし て、その夢をリアルに、たとえばこういう売上にしたい、こういう利益にしたい、こういう雰囲気の会社にしたい、そういうリアルな数字や目標をハッキリ描い て夢を作り上げることも必要ではないかと思います。そういうことまで考えてやっていだたければ、その通りの会社ができると私は信じております。
次 の項目は、「動機善なりや、私心なかりしか」です。これはもう、今日お見えになっていらっしゃる塾生の方々はみんな、いろんな人生の局面でお使いになって おられることと思います。人生の方程式の中にある考え方は、まさにこの「動機善なりや、私心なかりしか」というもので構成された考え方でなければならない という意味から言っても、たいへん大事な項目です。

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