稲盛塾長の講話です。
小善は大悪に似たり********
京セラフィロソフィー 第2章第6節「人生を考える」
人 間関係の基本は、愛情をもって接することにあります。しかし、それは盲目の愛であったり、溺愛であってはなりません。上司と部下の関係でも、信念もなく部 下に迎合する上司は、一見愛情深いように見えますが、結果として部下をダメにしていきます。これを小善といいます。「小善は大悪に似たり」と言われます が、表面的な愛情は相手を不幸にします。逆に信念をもって厳しく指導する上司は、けむたいかもしれませんが、長い目で見れば部下を大きく成長させることに なります。これが大善です。真の愛情とは、どうあることが相手にとって本当によいのかを厳しく見極めることなのです。
**********
「小善は大悪に似たり」というのは、たとえば自分の子供が可愛いばかりに溺愛し、甘やかし、大事に育てたつもりなのに、子供が長ずるに及んでロクでもない 人間に育ってしまい、世間にも大変な迷惑をかける。そういうことを言った言葉です。可愛い可愛いと思い、子供の言いなりに溺愛をするという小善をなしたこ とが、その子供にとっては大悪になる。つまり、小善を行なうということは大悪を行なうことに似ているのだということです。
また、「大悪は非情に 似たり」と言いますように、大善は大変薄情に見えます。「人間若いときには苦労は買うてでもせよ」とよく言いますし、「強いライオンはわが児を千尋の谷に 突き落とし、そこから這い上がってきた子供しか育てない」という例え話をする人もおられます。つまり、むごいように見えるけれども、それは愛のムチとし て、その人を大きく育てる為に必要なものなのです。まさにむごい仕打ち、非情に見えるその行為が、実は大善をなしていく。「大善は非情に似たり」とは、そ ういうことです。
IBMの社是に悟りのヒントを得た、小善の意味、大善の意味
実は、これは京セラをつくった当時から 私が持っていたものではありません。フィロソフィの中で、私は一貫して、利他の心、優しい心、思いやりの心、純粋な心、美しい心でなければいけませんとい うことを言っています。小学校の高学年で死の病にとりつかれて苦しんでいたときに宗教の本に出会い、それが私の人生観をつくっていったこともあって、男ら しい事業に対するチャレンジ、勇気をもってあたるというものと同時に、こういう優しい心というものを持っていたように思います。
ところが事業を 始めてみますと、どうしても社員に小言を言わなければならないし、厳しく叱責しなければならない時も出てきます。また、「君は辞めてくれ」と言わなければ ならない時もあります。優しい心ですから、社員に対しても何にでも優しくしなければならないと思うのですが、たちまちにそういう局面に遭遇したのです。
私は人生を生き、成功させるためには、優しい、美しい、利他の心が大事だというものを持っていましただけに、その矛盾は正に私のエゴではないかと思えてし まったのです。つまり、自分が会社の責任者になり、その会社を良くしなければならないために、今までの私の人生観に反してむごいことを従業員に要求し出し た。いよいよ悪い私の本性を現したと思えたのです。非常に悩みました。
塾生の皆さんも、自分の事業で苦しみながら、何か人生の中で頼りになるも の、杖になるものはないかと模索をされます。そういう物を求めて盛和塾にお入りになり、私の一言半句を聞いて、それを自分の人生の拠り所にして生きていこ うとされている。同じように私も悩み、色んな事をやりました。
会社をつくって、そういう局面で部下を怒り、叱り、あるときには仁王様みたいに 真っ赤になって部下を叱っている自分。その自分とかねて言っていることが矛盾をする。その矛盾が解けないままに悩んでいました。その時にIBMの創業者ワ トソンさんが書いた本だったか、IBMの人に聞いたのか、よく覚えておりませんが、聞いた話に解を得たわけです。
アメリカのIBMには「社員を 大事にします」という項目があります。たしかにアメリカの会社でありながら、IBMは日本と同じように永く勤める人が多い会社です。アメリカではしょちゅ う会社をかわります。会社をかわればかわるほど箔がつくと言われるアメリカの中でも、IBMは勤続年数の永い会社です。IBM、ヒューレットパッカードと いう会社は、日本と同じように長い間勤める人が多い。場合によっては定年まで、入社後、どこにもかわらずに定年まで勤める人が多いという。そういう社風を 持った会社だということは聞いていました。
IBMをつくったワトソンさんは、「わがIBMは社員を大切にします」ということを社是にしています。そして、どういうふうに社員を大事にするのかという項目もいっぱいあるのですが、その説明の中にひとつ、こんなたとえ話が出てきます。
ある北国の湖の畔に、心優しい老人が住んでいました。湖には毎年毎年、雁の群が飛んできて、ひとつの季節を過ごします。優しい老人はいつとはなしに、湖の 畔で雁たちに餌をあげるようになりました。雁は水辺に寄ってきては老人がくれる餌を喜んで食べておりました。来る年も、来る年も老人は餌をあげ、雁もその 老人のくれる餌で生きていました。
ある年も、雁の群がその湖にやってきました。雁たちは、いつものように餌をもらいに水辺に寄っていくのですが、その老人は現れません。毎日毎日、水辺に寄っていっては待ち続けるのですが、老人は現れません。亡くなっていたのです。
その年寒波が襲来して湖が凍結してしまいました。老人が現れるのを待ち続け、餌をとる術を忘れてしまった雁たちは、やがて全部餓死してしまいました。IBMではそういう社員の育て方はしません。
雁は厳しい自然界の中で苦労して生きていくのが自然なのですから、凍結した湖面の時でも自分で餌を探して生き延びていく。そういう逞しい雁になるように、 IBMは社員を大事にしますという話なのですが、「なんや、ちっとも大事にせんやないか」と思いましたけれども、「これが真の愛情なんだな」ということ に、私はそのとき気が付いたのです。気が付いてからいろんな本を読んでみますと、仏教の中に「小善は大悪に似たり」という言葉がありました。これだ! と 思いました。
優しい心で社員に接しなければならないと思いながら、一方ではそれに矛盾するように、烈火のごとく湯気を立てて怒っている自分。な んと人間ができていないと思ったけれども、いいわいいわという、どんなことがあってもただ優しいだけではこの会社をダメにしてしまう。真面目な社員もいな がら、この会社を潰すようなことがあれば、たいへんな罪悪をなすことになってしまう。勇気がないばかりに、従業員に人気をとって、従業員からいい社長だと 思われたいばかりにそういうことをやっていて、そして全体を不幸にしてしまうということがあったなら、たいへんなことになってしまう。私は心に鬼にして、 叱るべきときは叱ろう。それは大善なのだ────。そう自分で言い聞かせて、それからは勇気をもって仕事をしてきました。それまで悩んでいた私を助けてく れた言葉が、この「小善は大悪に似たり」という言葉だったのです。
小善は大悪に似たり********
京セラフィロソフィー 第2章第6節「人生を考える」
人 間関係の基本は、愛情をもって接することにあります。しかし、それは盲目の愛であったり、溺愛であってはなりません。上司と部下の関係でも、信念もなく部 下に迎合する上司は、一見愛情深いように見えますが、結果として部下をダメにしていきます。これを小善といいます。「小善は大悪に似たり」と言われます が、表面的な愛情は相手を不幸にします。逆に信念をもって厳しく指導する上司は、けむたいかもしれませんが、長い目で見れば部下を大きく成長させることに なります。これが大善です。真の愛情とは、どうあることが相手にとって本当によいのかを厳しく見極めることなのです。
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「小善は大悪に似たり」というのは、たとえば自分の子供が可愛いばかりに溺愛し、甘やかし、大事に育てたつもりなのに、子供が長ずるに及んでロクでもない 人間に育ってしまい、世間にも大変な迷惑をかける。そういうことを言った言葉です。可愛い可愛いと思い、子供の言いなりに溺愛をするという小善をなしたこ とが、その子供にとっては大悪になる。つまり、小善を行なうということは大悪を行なうことに似ているのだということです。
また、「大悪は非情に 似たり」と言いますように、大善は大変薄情に見えます。「人間若いときには苦労は買うてでもせよ」とよく言いますし、「強いライオンはわが児を千尋の谷に 突き落とし、そこから這い上がってきた子供しか育てない」という例え話をする人もおられます。つまり、むごいように見えるけれども、それは愛のムチとし て、その人を大きく育てる為に必要なものなのです。まさにむごい仕打ち、非情に見えるその行為が、実は大善をなしていく。「大善は非情に似たり」とは、そ ういうことです。
IBMの社是に悟りのヒントを得た、小善の意味、大善の意味
実は、これは京セラをつくった当時から 私が持っていたものではありません。フィロソフィの中で、私は一貫して、利他の心、優しい心、思いやりの心、純粋な心、美しい心でなければいけませんとい うことを言っています。小学校の高学年で死の病にとりつかれて苦しんでいたときに宗教の本に出会い、それが私の人生観をつくっていったこともあって、男ら しい事業に対するチャレンジ、勇気をもってあたるというものと同時に、こういう優しい心というものを持っていたように思います。
ところが事業を 始めてみますと、どうしても社員に小言を言わなければならないし、厳しく叱責しなければならない時も出てきます。また、「君は辞めてくれ」と言わなければ ならない時もあります。優しい心ですから、社員に対しても何にでも優しくしなければならないと思うのですが、たちまちにそういう局面に遭遇したのです。
私は人生を生き、成功させるためには、優しい、美しい、利他の心が大事だというものを持っていましただけに、その矛盾は正に私のエゴではないかと思えてし まったのです。つまり、自分が会社の責任者になり、その会社を良くしなければならないために、今までの私の人生観に反してむごいことを従業員に要求し出し た。いよいよ悪い私の本性を現したと思えたのです。非常に悩みました。
塾生の皆さんも、自分の事業で苦しみながら、何か人生の中で頼りになるも の、杖になるものはないかと模索をされます。そういう物を求めて盛和塾にお入りになり、私の一言半句を聞いて、それを自分の人生の拠り所にして生きていこ うとされている。同じように私も悩み、色んな事をやりました。
会社をつくって、そういう局面で部下を怒り、叱り、あるときには仁王様みたいに 真っ赤になって部下を叱っている自分。その自分とかねて言っていることが矛盾をする。その矛盾が解けないままに悩んでいました。その時にIBMの創業者ワ トソンさんが書いた本だったか、IBMの人に聞いたのか、よく覚えておりませんが、聞いた話に解を得たわけです。
アメリカのIBMには「社員を 大事にします」という項目があります。たしかにアメリカの会社でありながら、IBMは日本と同じように永く勤める人が多い会社です。アメリカではしょちゅ う会社をかわります。会社をかわればかわるほど箔がつくと言われるアメリカの中でも、IBMは勤続年数の永い会社です。IBM、ヒューレットパッカードと いう会社は、日本と同じように長い間勤める人が多い。場合によっては定年まで、入社後、どこにもかわらずに定年まで勤める人が多いという。そういう社風を 持った会社だということは聞いていました。
IBMをつくったワトソンさんは、「わがIBMは社員を大切にします」ということを社是にしています。そして、どういうふうに社員を大事にするのかという項目もいっぱいあるのですが、その説明の中にひとつ、こんなたとえ話が出てきます。
ある北国の湖の畔に、心優しい老人が住んでいました。湖には毎年毎年、雁の群が飛んできて、ひとつの季節を過ごします。優しい老人はいつとはなしに、湖の 畔で雁たちに餌をあげるようになりました。雁は水辺に寄ってきては老人がくれる餌を喜んで食べておりました。来る年も、来る年も老人は餌をあげ、雁もその 老人のくれる餌で生きていました。
ある年も、雁の群がその湖にやってきました。雁たちは、いつものように餌をもらいに水辺に寄っていくのですが、その老人は現れません。毎日毎日、水辺に寄っていっては待ち続けるのですが、老人は現れません。亡くなっていたのです。
その年寒波が襲来して湖が凍結してしまいました。老人が現れるのを待ち続け、餌をとる術を忘れてしまった雁たちは、やがて全部餓死してしまいました。IBMではそういう社員の育て方はしません。
雁は厳しい自然界の中で苦労して生きていくのが自然なのですから、凍結した湖面の時でも自分で餌を探して生き延びていく。そういう逞しい雁になるように、 IBMは社員を大事にしますという話なのですが、「なんや、ちっとも大事にせんやないか」と思いましたけれども、「これが真の愛情なんだな」ということ に、私はそのとき気が付いたのです。気が付いてからいろんな本を読んでみますと、仏教の中に「小善は大悪に似たり」という言葉がありました。これだ! と 思いました。
優しい心で社員に接しなければならないと思いながら、一方ではそれに矛盾するように、烈火のごとく湯気を立てて怒っている自分。な んと人間ができていないと思ったけれども、いいわいいわという、どんなことがあってもただ優しいだけではこの会社をダメにしてしまう。真面目な社員もいな がら、この会社を潰すようなことがあれば、たいへんな罪悪をなすことになってしまう。勇気がないばかりに、従業員に人気をとって、従業員からいい社長だと 思われたいばかりにそういうことをやっていて、そして全体を不幸にしてしまうということがあったなら、たいへんなことになってしまう。私は心に鬼にして、 叱るべきときは叱ろう。それは大善なのだ────。そう自分で言い聞かせて、それからは勇気をもって仕事をしてきました。それまで悩んでいた私を助けてく れた言葉が、この「小善は大悪に似たり」という言葉だったのです。

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