稲盛塾長の講話です。
昔、半導体用のパッケージを作ろうとしていたときの 話です。当社の幹部の技術屋さんにチーフになってもらい、研究開発を進めていました。半導体を封止するパッケージとしてはこういう特性が要るということ は、もちろんお客さんから言われていますし、我々も知っていますから、その性能を持ったものを作ろうと開発を進めていきました。たいへんな苦労と長い時間 をかけて、やっと近いものができあがったとき、それをチーフが私のところに持ってきました。苦心惨憺して作ったものでしたが、私には薄汚れた感じのように 見えました。
それを私は「薄汚れた感じ」と表現したんですが、品物自体は半導体用パッケージとしての物性をすべて満足しています。持っていなけれ ばならない電気特性、物理的特性、すべて満足しています。ですから、「社長、できあがりました」と持ってきてくれたんですが、見た瞬間、薄汚れた感じがし たと私は言いました。
「なるほど、性能は間違いない。しかし、これはダメだ」
「何でですか。備えるべき性質は全部満足しています。何でダメなんですか」
「見てみい。薄汚れてるやろ」
長年かかって、ものすごい苦労をしてやっとできあがったものです。喜んで持ってきたものをダメだと言われたものですから、気色ばんで食ってかかってきました。
「け しからん! あなたも技術屋で論理的な人です。いつも理論で言っている人が薄汚いと言う。薄汚いのと製品とは関係ありません! それだけの物理的性質を備 えているのに、それを全部無視して薄汚いと言われる。女の子みたいな感情論で判断するのはおかしいじゃありませんかよ」
「なるほどそうだけれど も、やはりそれだけの物性を備えているものは、見た目も美しくなけりゃならんのです。あなたは物理的な測定をして、立派に満足する範囲に入っていると言う けれども、これだけ外観が変質しているところを見れば、ギリギリでの合格であって、はるかに物理的性質が優れているわけではないはずです。立派な物性を備 えているものは見た目も美しいはずです」
よく言いますね、素晴しいスポーツ選手はフォームもきれいだと。しかし野茂みたいなヘンなフォームで投げ るピッチャーもいますから、必ずしもそうだとは言えないのかもしれませんが、大体において内容のよいものというのは、スポーツでも何でもきれいなもので す。品物でもそうです。よいモノはよいモノなりに、備わった品格があるはずです。
「いいや、これはペケだ。あかん」
「じゃあ、どんなものですか」
「セ ラミックが持っている物性は純白で、素晴しいもので、触れれば手が切れるのではないかと思うぐらいのものでなければならんはずだ。屁理屈で、これは性能が いいんですというのではありません。外観も素晴しいと思うようなものなら、物理的性質はもっと優れたものになっているはずです」
そのときに「手の 切れるような品物」という表現をして、私は頑としてそれを認めませんでした。そのことが、その後パッケージが成功していくもとになっていったと思います。 見た目も美しいものでなければならんというところまで詰めていったことが、成功していったもとであった感じがします。
その後、「手の切れるような 製品」という言葉は、社内の至るところで使われるようになってきました。欠けているような製品はもちろん問題ですけれども、そういう意味ではなくて、本当 に立派なもの、見た目に美しいものでなければならんということは、どの職場でも言われるようになっていきました。そしてそのことが、京セラが中小企業から 中堅企業へ、中堅企業から大企業へ脱皮をしていくために大きな貢献をしてくれたと思っています。
これは製品だけではありません。社員の立ち居振る舞いまで手の切れるようなものといいますか、立派な立ち居振る舞いも要りましょう。社風も品格があり、手の切れるようなものでなければならないと思います。
昔、半導体用のパッケージを作ろうとしていたときの 話です。当社の幹部の技術屋さんにチーフになってもらい、研究開発を進めていました。半導体を封止するパッケージとしてはこういう特性が要るということ は、もちろんお客さんから言われていますし、我々も知っていますから、その性能を持ったものを作ろうと開発を進めていきました。たいへんな苦労と長い時間 をかけて、やっと近いものができあがったとき、それをチーフが私のところに持ってきました。苦心惨憺して作ったものでしたが、私には薄汚れた感じのように 見えました。
それを私は「薄汚れた感じ」と表現したんですが、品物自体は半導体用パッケージとしての物性をすべて満足しています。持っていなけれ ばならない電気特性、物理的特性、すべて満足しています。ですから、「社長、できあがりました」と持ってきてくれたんですが、見た瞬間、薄汚れた感じがし たと私は言いました。
「なるほど、性能は間違いない。しかし、これはダメだ」
「何でですか。備えるべき性質は全部満足しています。何でダメなんですか」
「見てみい。薄汚れてるやろ」
長年かかって、ものすごい苦労をしてやっとできあがったものです。喜んで持ってきたものをダメだと言われたものですから、気色ばんで食ってかかってきました。
「け しからん! あなたも技術屋で論理的な人です。いつも理論で言っている人が薄汚いと言う。薄汚いのと製品とは関係ありません! それだけの物理的性質を備 えているのに、それを全部無視して薄汚いと言われる。女の子みたいな感情論で判断するのはおかしいじゃありませんかよ」
「なるほどそうだけれど も、やはりそれだけの物性を備えているものは、見た目も美しくなけりゃならんのです。あなたは物理的な測定をして、立派に満足する範囲に入っていると言う けれども、これだけ外観が変質しているところを見れば、ギリギリでの合格であって、はるかに物理的性質が優れているわけではないはずです。立派な物性を備 えているものは見た目も美しいはずです」
よく言いますね、素晴しいスポーツ選手はフォームもきれいだと。しかし野茂みたいなヘンなフォームで投げ るピッチャーもいますから、必ずしもそうだとは言えないのかもしれませんが、大体において内容のよいものというのは、スポーツでも何でもきれいなもので す。品物でもそうです。よいモノはよいモノなりに、備わった品格があるはずです。
「いいや、これはペケだ。あかん」
「じゃあ、どんなものですか」
「セ ラミックが持っている物性は純白で、素晴しいもので、触れれば手が切れるのではないかと思うぐらいのものでなければならんはずだ。屁理屈で、これは性能が いいんですというのではありません。外観も素晴しいと思うようなものなら、物理的性質はもっと優れたものになっているはずです」
そのときに「手の 切れるような品物」という表現をして、私は頑としてそれを認めませんでした。そのことが、その後パッケージが成功していくもとになっていったと思います。 見た目も美しいものでなければならんというところまで詰めていったことが、成功していったもとであった感じがします。
その後、「手の切れるような 製品」という言葉は、社内の至るところで使われるようになってきました。欠けているような製品はもちろん問題ですけれども、そういう意味ではなくて、本当 に立派なもの、見た目に美しいものでなければならんということは、どの職場でも言われるようになっていきました。そしてそのことが、京セラが中小企業から 中堅企業へ、中堅企業から大企業へ脱皮をしていくために大きな貢献をしてくれたと思っています。
これは製品だけではありません。社員の立ち居振る舞いまで手の切れるようなものといいますか、立派な立ち居振る舞いも要りましょう。社風も品格があり、手の切れるようなものでなければならないと思います。

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