人生の価値と目的

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稲盛塾長の講話です。

人生にとって何の価値もない、地位、名誉、金

特に昨今は不景気です。(1999)皆さん、たいへん厳しい経済環 境のなかを日夜苦労して経営をし、立派な経営をしていきたいと願われて努力をしておられます。しかし考えてみてください。たとえば私の場合、連結ベースで 年間8000億円近い売上げをあげて、数百億円の経常利益をあげる会社を40年でつくりあげました。また、15年で1兆5000億円を売上げる第二電電を つくりあげました。ですから、稲盛さんはたいへん立派な会社をつくり、有名になってお金持ちになったと、皆さんお考えだろうと思います。しかし、そういう ことが一生のなかで何ほどの価値があるのでしょうか。やっぱり、何の価値もないんだと思います。
 いくら有名であろうとも、いくら地位が高かろう とも、いくらお金を持っていようとも、死ぬときはみんな、何も持たない裸一貫で死んでいかなければならないわけです。たとえ周囲の人がいくら悲しんでくれ ようとも、誰も一緒に死んでくれる人はいません。よしんば死んでくれたって意味はありません。お金を一銭も持っていなくて、ちっとも有名ではない人が死ん でいく場合と、有名でお金持ちの人が死んでいく場合とどう違うのかといえば、何の違いもないんです。
私は皆さんに、「事業経営者として一生懸命に 頑張り、事業を立派にしてくださいよ」と一生懸命に言ってきていますね。それに応えて一生懸命に努力し、少しはマシな会社になった。そして棺桶に足を突っ 込んだときに、「何の意味があったんやな?」と思うと、もうガッカリするわけです。「あのオッサン、ナニを言うとったんや、今まで。我々に一生懸命頑張 れ、頑張れと言って、京セラはここまでになりましたよ、できればそれを目標に頑張れ、頑張れと頑張らせておいて、"何にもなかったわ"てなことを言われた のではたまったものではない」とお考えかもしれません。
そうなんです。いくら会社が立派になろうと、ちょっとぐらいうまくいこうと、人間の一生にとっては何の関係もないんです。

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このブログ記事について

このページは、前田が2008年9月 2日 15:54に書いたブログ記事です。

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