自然が与えたもうた試練は、人格錬磨の磨き砂

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稲盛塾長の講話です。

では、人間の一生で価値のあることとは何なのか。結論から言いますと、実は人間の一生の目的は心を高めることにあるんです。心を高めることが人生の意義なんです。
た しかに名誉も地位もお金も、何もあの世へ持っていくことはできません。よしんばそれを自分の子供に遺してみたって、知れていますわ。真面目な息子が跡を継 いでも、2代も続きはしません。必ず途中でヘンな者が出てきて、全部パアにするに決まっています。自分が死んでから、長く続いても50年です。
私 どもをこの世に生み出してくれたもの、生を受けさせてくれたもの、それは宇宙創造の神、あるいは自然と言ってもいいのかもしれませんが、宇宙創造の神、あ るいは自然は、なぜ私どもに現世の生を受けさせたのか。私みたいにひょんなことで鹿児島から京都に出てきて会社で少し仕事をし、上司と喧嘩をして飛び出し た。そして会社をつくり、こんなことになった。それには何かの必然性があったのかもしれませんが、私にしてみればまったくの偶然みたいなものです。はたか ら見ればたいへんラッキーで、素晴しい成功をしたではありませんか、素晴しく有名になったではありませんかと、みんなが羨ましがる立場にあるんですが、一 方、何をしてもうまくいかなくて苦労に苦労を重ね、また倒産に見舞われるというたいへんな苦労をしていらっしゃる人もいます。いや、生まれながらにして障 害を持ち、たいへんな苦労をしている人もおられるかもしれません。
なぜ、自然というものはそんな不公平なことをするのか。何の罪もないのに、生まれながらにして障害を背負わして、この世に生を受けさせるのだろう、と思ってしまいます。
五 体健全なだけでも、まだ自分はよかったかもしれない。ましてや私は、五体健全どころか、他人(ひと)からは大事業家だと言われることになっている。なんと ラッキーだろうと思うかもしれませんが、考えてみれば、私のように大成功をさせてくれるのも、自然はそれをひとつの試練として与えたわけです。生まれなが らに障害を持って生まれてくる子供さんも、凄まじい試練を背負わせているわけです。会社がうまくいかなくて潰れかかったりするのも試練です。私のように成 功させてくれるのも、またひとつの試練なんです。決して幸運だけではありません。
生まれながらにして障害を持たせて、その子がどういうふうに人生 を全うしていくのか、自然は見ているんだと思います。経営につまづいて、今日の手形が落ちないと苦労をしていく。そういう苦労をさせながら、その魂が、そ の心がどうなっていくのか、自然は試しているんだと思います。
たとえば私のような者には、今まで持ったことのないようなお金を持たせ、名声と地位 まで与えた。それがどう変化していくのか、試しているんです。先ほど、人格は変化すると言いましたが、私の人格がどう変化していくのか、見ているわけで す。おそらく、あの人は幸運に恵まれずに、もっと地味に苦労をしていれば、あんな人生ではなかったろうに、あんなに成功したばかりに、お金持ちになったば かりに狂ってしまって、あんなふうになってしまったなということは、よくあることです。つまり、それは試練だったんです。与えてみて、それに溺れてしまう のか、その試練に打ち負けてしまうのか、それを試している。
この人生は波瀾万丈、みんなそれぞれ違っていますが、全部が試練なんです。試練を与え てみて、その魂が、その良心がどういうふうに反応していくのか。いい状態になったからとホイホイと喜んで贅沢をし、そして狂ってしまうのか。自然は見てい るんだと思います。いいことも悪いことも、魂にとっては試練なんです。
私は盛和塾を始めるとき、最初に皆さんに「心を高める」と申し上げました。 その後も私は、心を純化する、心を浄化するというふうに言葉を換えて、何回も何回も言い続けてきました。皆さんも耳にタコができるくらい聞いていらっしゃ ると思いますが、結論としては、心を純化する、心を磨くことが、実は自然が我々に生を受けさせた目的ではないかと思えるのです。

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このページは、前田が2008年9月 3日 15:57に書いたブログ記事です。

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