釈尊が説く「六波羅密」と盛和塾の教え

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稲盛塾長の講話です。


お釈迦さまは、人生のなかで一番の究極は悟りをひらくことで あり、それが一番大事だと言っておられます。それを彼岸に至ると言いますが、一般に我々凡人は、それを極楽浄土のある向こう岸のことだと理解しています。 実際にお釈迦さまが説かれた彼岸とは、悟りの境地のことです。悟りをひらくことを彼岸だと説かれたわけですが、悟りをひらけば素晴しい安心立命の境地にな りますから、そこが極楽浄土でもありますから、我々はその極楽浄土へ渡ろう、渡ろうと願うわけです。
 その方法として、お釈迦さまは「六波羅密」という修行をせよと説いておられます。最初にくるのは「布施」です。お賽銭をあげるのも布施ですが、人を助けることが布施の意味になります。
  私は、事業経営とは正反対のような「利他の心」ということを、この盛和塾で一連ずうっと説いてきています。利他の心で経営しようということに共鳴してくれ る皆さんがおられるものですから、私はずうっと言ってきたわけですが、この利他の心は布施と一緒なのです。世のため人のためにという利他の心は、お釈迦さ まが説く布施でもあるわけです。
 二つめは「持戒」です。戒律を守るという意味です。そしてこのなかで、お釈迦さまは6大煩悩という六つの煩悩があり、それが我々を悪くしていくのだと仰っています。その煩悩をなるべく抑えていくことを、持戒と言っているわけです。
 煩悩とは、肉体を持っているがゆえに出てくるものです。ですから煩悩は肉体を持つ我々に必要なのですが、しかし煩悩が非常にたくさんあるために人間をダメにしてしまっているケースはたくさんあります。
  お釈迦さまが仰った6大煩悩のひとつは、欲を貪る「貧(とん)」というものです。食欲、性欲、名誉欲、それらの欲がない人はいません。肉体を持っているか ら、どうしても必要なのです。しかし、それが過大になっていったのでは人間がダメになってしまいますから、それを抑えなさいという。
 次は「瞋(しん)」です。勝手な振る舞いをして、周囲の人に迷惑をかけていても気付かない。自分の気まま次第に行動し、喋り、他人を損ない、たいへんな迷惑をかけてしまう心のことです。
 次に「痴(ち)」です。しょっちゅう不平不満を鳴らし、人がうまくいけば、面白くないとそねんでみたり、妬んでみたり。そういう卑しい心のことです。
 次は「慢(まん)」です。謙虚さを忘れ、傲慢になっていく心のことです。
 次は「疑(ぎ)」です。何でもかんでも悪いほうに、悪いほうに考える、疑い深い心のことです。
 最後は「見(けん)」です。何でも悪く見る心です。物事をよく見れば、そんなにひねくれなくてもいいのに、物事をすべてすべて悪いにほうに見る、悪いほうに解釈をする心のことです。
  この貧、瞋、痴、慢、疑、見を6大煩悩としてあげ、お釈迦さまはこれを抑えなさい、それらが出るままにしておいてはならないと説かれたわけです。しかし、 これがない人はいません。お釈迦さまのような悟りをひらいた人はうんと希薄なのでしょうが、我々現世に生きている人間、これがなければ生きていけないので す。これがなければ人間的ではないのです。だけれども、これが多すぎたのでは身を滅ぼしてしまう。だから、これらを抑えなさいということが、お釈迦さまの 説く「持戒」という意味です。
 三つめが「精進」です。一生懸命に働けということです。私は皆さんに、「誰にも負けない努力をする」と要求してい ます。他人が寝ている間も働けと、皆さんに強く強く言っていますが、それが精進なのです。悟りをひらくために、禅宗のお坊さんはたいへん厳しい修行をして いらっしゃいます。農作業をするにしても、掃除をするにしても、坐禅を組むにしても、必死で努力しておられます。それを精進と言います。
 我々も 同じように、毎日毎日必死になって経営を頑張っています。これだけでも、禅宗のお坊さんがする修行、精進と何も変わりません。怠け心を起こして怠けようか と思っても、やっぱり会社が心配で、朝早うから晩遅くまで一生懸命に頑張っている。経営なんかしていなければ、他人さんと同じように長い休暇を取ってどこ かに遊びに行きたいと思うんだけれども、会社を留守にすれば潰れはせんかと心配で心配で、必死に頑張っている。これが精進です。何も坐禅だけが精進ではあ りません。生きていることに一生懸命であること、そのことが優れたことなんです。
 四つめに「忍辱」と仰っています。堪え忍ぶということです。この不況のなかを皆さん、必死に歯を食いしばって堪え忍んでいます。堪え忍ばなければならないと、お釈迦さまは言っておられるわけです。
  五つめに「禅定」と仰っています。坐禅を組みなさいということですが、これを私なりに解釈しますと、坐禅を組まなければならないということではありませ ん。せめて一日1回、心を静かに鎮めなさいということです。経営をやっていますと、ついつい血が頭へ上がっていきます。経営がうまくいってもカッカ、カッ カします。血が全部上にあがってしまいます。そして冷静な判断ができなくなります。ですから、頭を冷やして冷静になるために、一日1回は心を鎮める。禅定 とは、そういう意味だと思います。寝る前でも構いません。ベッドの上で静かに目をつむり、心を静かにするということでいいんです。
そうすると、やがて六つめの「智慧」に至ります。森羅万象を支配している宇宙の根本原理を知る、つまり悟りにいたるわけです。

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このページは、前田が2008年9月 4日 15:58に書いたブログ記事です。

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